メンドクサイ病

 「面倒くさい」は役人の大敵だ。ふとした隙に心に入り込んでくる風邪のようなものだが、放っておくと重篤化して、死に至る病になる。

 行政は、「事なかれ主義」、「減点主義」などと言われる。確かに行政には、何か新しいことをして非難されたり、仕事を増やしたりするよりは、何もしないで済めばその方が良い、と考える傾向がある。これは、個人の問題というよりも、お客さんが来なくてもつぶれないという、公務員が持つ本質から来る構造的な問題だ。実際、批判されるリスクを冒しつつ何かを苦労して始めるより、やらない理屈を考える方がはるかに容易だ。いや、批判されるのが怖いといいながら、つまるところ単に面倒なだけということも多い。むしろ、面倒くさいというのを隠すために、やらない理屈を考える。私はそれが一番嫌いだ。面倒くさいからやりたくないだけなのに、もっともらしい理屈をつけて、やりませんと胸を張ってくる。仕事が増えるのが嫌なら、そう言って断る方がまだましだ。おそらく、言っている本人もそのすりかえに気づいていないに違いない。

 行き過ぎた規制のように、行政が何かをすることで生ずる害もあるが、何かをしないことによって生ずる害の方が、よほど罪が重いと思う。行政仕分けなどと言って、いまやっていることに税金の無駄使いがないかどうか吟味することも大切だが、本当は、やるべきなのにやっていないことのほうが問題だ。しかし、それを検証することは大変難しい。なぜなら、それは多くの場合まだ顕在化していない問題であり、それを知っているのは限られた人々だけであり、そしてそういった隠れた問題は、一般に考えられているよりずっと多いからだ。

 役人は、それぞれの分野の専門家であり、そうした隠れた問題を知りうる立場にいることを自覚しなければならない。隠れた問題に気づいたとき、仕事が増えて面倒だからとそれを隠すのではなく、むしろその問題に対する世の中の関心が高まるようにしていかなければならない。世間が注目すれば、それだけ自分の仕事が増え、批判されるリスクも高まるが、一方で世間の関心が低ければ、数ある問題の中で、優先して解決すべきものとはならない。

 「面倒くさい」と思わないためにはどうすればよいか。一つは、使命感を持つことだ。自分が目をつむってしまえば、自分は楽かもしれないが、それで救われない人がいる。支援を受ける人の身になって、想像力を働かせること。青臭いようだが、これが一番の基本だろう。そして、仕事を楽しむこと。やらされていると思うからつまらなくなる。自分が主体的に動くことで、周囲の状況が変わっていくのを楽しむ。批判されることを含めて、楽しいと思えるようになれば理想的だ。最後に、心にゆとりを持つこと。余裕がなくなると、仕事が増えることに拒否的になる。今やっている仕事で手一杯なのに、これ以上、新しい仕事を引き受ける余裕はない、という気持ちになる。とはいえ、仕事は増え、人は減る一方だ。その意味では、現実的にはこれが一番難しいかもしれない。