働き方を見直す⑥ 〜イクメンプロジェクト その2〜

  前々回のブログで、「イクメンプロジェクト」が生まれた経緯について書いたが、今回は、そもそもの「イクメン」という言葉について、考えてみたい。

 「イクメンプロジェクト」は、かけた予算に比べれば政府のプロジェクトとしては成功したのではないか、と前々回のブログで書いたが、このプロジェクトを始めた時は、正直言って「イクメン」という言葉がこんなに流行るとは思っていなかった。なにしろ、事業自体は、何年か前から、「男性の育児休業取得促進プロジェクト」として実施していたのである。いくら大臣が公の場で発言したからといって、「イクメン」というような“軽い”言葉を、政府が使って大丈夫か、と心配したくらいだった。私は、課長補佐という(気楽な)立場であることもあり、比較的、こうした言葉を使うことに前向きであったが、課長や局長は、今から考えればよく決断したものだと思う。最近、GKB47という自殺対策の標語が問題になったのは記憶に新しいが、政府が名付けをすることは、常に批判を受ける可能性があり、思い切った名前が付けにくいという面がある。子育ても、非常にプライベートな領域に関わるという点で、政府が推奨することに難しさがあり、そうした微妙なところに「イクメン」という標語を政府がつけることは、ふざけているのではないか、といった批判を受ける可能性もあったと思う。

  「イクメン」をどう定義するかも、課長と議論をした覚えがある。厚生労働省の「イクメンプロジェクト」ホームページでは、「イクメンとは、子育てを楽しみ、自分自身も成長する男性のこと」とされている。だが私は、イクメンに「楽しい」とか、「自分自身も成長する」といった表現を加えるのは、当初反対であった。育児が楽しいかどうかや、自分自身も成長できるかどうかは、個人の問題であって、政府がそれに言及するのは、大きなお世話ではないか、という気がしたからだ。だから私の案は、確か、「イクメンとは、育児を積極的にする男性を指す」という感じだったと思う。だが、それではあまりに味気ないということで、広告代理店の提案もあり、最終的には今のような表現になっている。今から考えれば、それほど心配しなくても良いようにも思えるが、当時は、やはり育児というプライベートな領域に、政府が何らかの価値を付けるということに、私自身は相当の心理的抵抗があった。

 思ったほどではなかったが、「イクメンプロジェクト」には反対だ、という声もあった。反対にもいろいろな観点があるが、まず、「男性が子育てをすることがけしからん」というのは、さすがにほとんどなかった。次に、「子育ては夫婦の問題であって、政府が男性の子育てを推奨するのはおかしいのではないか」といった批判は、思っていたより少なかった。むしろ多かったのは、「男性が子育てをするのは当たり前であって、今さら「イクメン」という言葉でわざわざ強調するのはおかしい」、「そんなことを言われなくても、もう既に十分子育てをしている」という声だった。確かに、既に子育てをしている男性にとっては、何をいまさら、という感じがするのかもしれない。
  そうした反対についてどう思うか、と聞かれたこともあったが、私は、このような反論が一定程度あることが、むしろ社会としては健全だと思っている。子育てにはさまざまな形があり、さまざまな考え方があってよいと思うし、政府が「こういう子育てが良い」と決めるのはおかしいだろう。だから、一定の反対があることは想定していたし、むしろ、そのような反対も含めて、男性の育児ということに世の中の注目が集まり、議論が高まっていくといいなと思っていた。

 さすがに最近は「イクメン」という言葉もやや下火になっているが、逆に言えば、それだけこの言葉が社会に定着しているということでもあると思う。私などは、テレビのテロップなどで、「イケメン俳優」、「イケメンバーテンダー」などという単語を見ると、「イケメン」が「イクメン」に見えて仕方がない。言葉の持つ力の強さを改めて感じる。