新・働き方を見直す3 〜働き方のビジョン その2〜

 前回に引き続き、「働き方のビジョン」についてもう少し考えてみたい。
 前回紹介したサイボウズのような働き方のコースを労働者が選べるようになったとしたら、我々はどんなコースを選ぶだろうか。当然、それぞれのコースによって給与はどうなるのか、昇進やその後のキャリアにどう影響するのか、といったことが分からないと判断できないが、ここでは、労働時間の多寡に基づく、給与を含めた処遇面での合理的な取扱いがされる(=労働時間が短いことを理由として給与が低くなったり、昇進が遅くなったりすることが合理的な範囲でありうる)、と仮定しよう。

 このとき、例えば小さな子どものいる共働き家庭の男性が、「少し残業して働く」という働き方を実際に選ぶかどうか、という点がポイントだろう。多様な働き方のコースがあっても、実際に選ぶことができないのでは絵に描いた餅だ。そこでのハードルは、会社側にではなく労働者の側にある。
 サイボウズのHP(http://cybozushiki.cybozu.co.jp/articles/m001097.html)に、いわゆる「イクメン」社員などによる以下のような対談が掲載されている。

田中:お二人にとって仕事の楽しさってなんですか?
渡辺:いろいろなところからお仕事をいただけるというのは必要とされている感じがありますよね。
倉林:褒められるっていうか。承認っていうか。
渡辺:本の出版など自分の意見が形になるってものすごい喜びじゃないですか?
田中:ああ、嬉しいですよね(笑)
 仕事上の評価で嬉しいって思う度合いの方が高かったら、やっぱり育児を頑張れないのではないかなと思うんですよね。
 家庭での事ってすごく個人的なことじゃないですか。奥さんがいつも感謝してくれるわけではないし。自分でやっていかなければいけないことだから、そもそも褒められるようなことでもない。
 仕事をやっていれば褒められるんですよ。一生懸命、本を書いたり、残業したりすれば「ああ立派にやっているね」と。この快感から抜け出さないと育児の方にはベクトルが行かないんじゃないかな。

倉林:まさにそうですね。仕事って公式というか、時間なりの労力をインプットするとそれなりに成果が出るじゃないですか。育児は結果にならなかったことも山ほどあります。
渡辺:目に見えては出てこないですもんね。
田中:男って比べるのをやめられないみたいなところがありますね。例えば年収って数字で出てくるから人と比べられるじゃないですか。「俺の方が高い」みたいな優越感とか、それは働けば働くほどじゃないですか。やっぱりここからある程度距離を取れるようにならないと。
 さっき倉林さんは操られているかもって言いましたけども。競争して勝ったというのは、気持ちいいんですよね。自己肯定感を得やすいし。褒められるし。このへんの評価の軸を変えていかないと。

(※強調部筆者)

 ここでいう「評価の軸」とは、社会的な評価のことを指しているのか、それとも自己評価のことを指しているのか定かではないが、承認欲求というのは誰にでもあるものだから、このやりとりにあるように「評価の軸を変える」といっても、この価値観を変えていくのは簡単ではないだろう。

 上のやりとりでも議論になっているが、働き方のビジョンを考えていく上で、やはり大きな論点の一つが子育て期の働き方だ。子育て期の中心となる30代は、仕事をしていく上でも大事な時期である。20代が仕事に慣れ、仕事のやり方を覚える時期だとすれば、30代は、仕事を通じて一番成長できる時期ではないかと思う。つまり、労働者が子育てと仕事の両立に直面する時期というのは、会社にとって重要であるだけでなく、本人にとっても大切な時期なのだ。だからこそ、現状において子どもを持つことによりワーク・ライフ・コンフリクトに直面することの多い女性が、子どもを持つことを先延ばしにするという判断をする(せざるを得ない)ということになるのだと思う。
 巷間で議論されているように、ワーク・ライフ・バランスの肝が長時間労働の抑制にあることは間違いないが、やはり仕事で成果を出そうとすれば、ここ一番というときにどうしても深夜まで働かざるを得ないこともある。私自身を振り返ってみても、例えば法改正の正念場ともなれば、睡眠時間を削って仕事に打ち込み、精神的にもかなり追い込まれていたために、妻や幼い子どもに声を荒げたことも一度や二度ではない。率直に言って、この時期だけ見れば「家庭を顧みず働いた」と評価されても仕方ないと思う。
 問題は、こうした働き方を一律に否定すべきかどうかということだ。確かに家庭を顧みない働き方は決して褒められたものではないけれども、一方で、それにより法改正という大きな仕事を成し遂げることができ、それを通じて私自身も成長したし、信頼できる仲間もでき、大きな自信になった。そんな働き方をしなくても物事を達成できるようにすべきだ、というのが正論かもしれないが、極限まで追い込まれていたからこそ、大きく成長したという面もある。企業の側からしても、「ここ一番」で残業できないのでは実際に大きな仕事は任せられない、というのも事実だろう。
 そう考えていくと、「ここ一番」で、「ワーク100%」という状態で働くことについて、一概に否定されるべきではないのではないか。そのときに大事なのは、「ここ一番」の期間の子育てをどうするか、という点と、あくまで「ここ一番」であってそれが常態化してはいけない、という点だ。(続く)