ビールゲームの衝撃

  先日、友人の主催する勉強会で、「ビールゲーム」というゲームをする機会があり、大変なショックを受けた。

 ビールゲームとは、アメリカのマサチューセッツ工科大学で1960年代に開発されたものだと言われている。プレイヤーは、工場、一次卸、二次卸、小売店のいずれかの役割を担当し、在庫や受注残をできるだけ少なくすることを目指す。実際の流通の仕組みをモデル化したゲームで、各プレイヤーの相互関係や、情報伝達の遅れなどをシミュレーションすることで、構造的な思考(システム思考)のトレーニングをすることを目的とするものだ。

  実は、私はこのゲームを紹介する本を事前に読んでいた。本では、このゲームをやると、ほとんどの場合、最後はどのプレイヤーも大量に在庫を抱える悲惨な結果となる、と書いてあったが、私は、本当にそうなるかと疑問に思っていた。少なくとも、自分はこの本を事前に読んでいるので、うまく対応できるだろうと思っていた。
 ところが、いざ始まってみると、冷静に周りを見ていたのは最初の数分だけで、あっという間に心理的に追い込まれ、周囲が見えなくなった。受注残が積み上がっていくのに焦り、あわてて受注を増やせば、今度は大量の在庫を抱えることになる。まさに本に書いてあるとおりの結果になってしまった。気がつけば、私の成績は最下位であった。

  私の受けたショックは相当なもので、その後に振り返りの時間があったのだが、頭が真っ白になってしまい、何が教訓なのかも分からないような状態だった。何よりもショックだったのは、最下位になったことよりも、私がゲームに対して思い込んでいた前提が、全く違っていたということだった。なぜか、私は誤った前提を強く思い込んでいて、ゲームが始まって、その前提に合わない事実が次々に出てきても、その誤った前提を疑うことなく、何とか辻褄を合わせようと行動を調整していた。だからゲームが進むにつれて、だんだんとその矛盾が大きくなり、最後は悲惨な結果となってしまった。

 考えてみると、私は、これまでも、なぜか誤った前提を強く思い込んでしまい、大失敗するという経験を何度かしている。某省の採用面接では、人事担当者にその日に会った人とどんな話をしたのかを説明することが評価の基準であり、そのことも事前に聞いていたのに、なぜか、その日会った人が評価すると思い込んでしまい、失敗したことがある。
  前提が間違っていると、その後をいくら上手にやっても、うまくいくはずがない。自分が思い込んでいた前提が、現実と異なっている場合には、本当は思い込みの方を修正しなければいけないのだが、それがなかなか難しく、思い込みが間違っていたと気づくのは、大抵、ひどい結果が出てからである。思い込みというのは、それほど根深いものであると思う。

 こうした間違った思い込みは、往々にして、自分に自信があるときに起こる。何も分からなければ、かえって慎重に情報を集めようとするから、間違った思い込みをする危険は実は少ない。分かったような気になっているときが一番危ない。ビールゲームの例でいえば、本を事前に読んで分かったような気になり、しかも、こういうゲームは得意だと思っていたのだから、まさに間違った思い込みをするのにピッタリのシチュエーションだったわけだ。
  そして、実は私は、この4月から某県に赴任して、これまでの仕事でも少し経験のある分野を担当することになっている。これは相当危ない。このタイミングでこうした気付きを得ることができたのは、天啓とすら言えるのではないかという気がしている。
  このような機会を与えてくれた友人たちに、心から感謝したい。