仕事ができる人

 先日、あるインド料理屋に行ったときのこと。
 私「「本日のカレー」は何ですか?」
 店員「えーと、何だったっけな・・・確か、ほうれん草のカレーだったか・・・」
 私「(「本日のカレー」の中身くらい覚えておけよと思いつつ)まあいいです、じゃ、「本日のカレー」でお願いします。」
 店員「分かりました。」
 そして10分後、店員が持ってきた「本日のカレー」は、見事にジャガイモとひき肉のカレーで、ほうれん草はひとかけらも入っていなかった。
私は、いずれにしても「本日のカレー」を頼むつもりだったので、店員に文句を言ったりはしなかったが、これはさすがにどうかと思った。確かに、こちらもきちんと確認をしないで「本日のカレー」を注文しているので、店員も「この人は何にしても「本日のカレー」だな」と思ったのかもしれないが、「ほうれん草のカレー」という店員の記憶が間違っていたのだから、「ほうれん草のカレーではなくてジャガイモとひき肉のカレーでした」くらいは事前に言いに来てしかるべきではないか。

 もう一つ、知事のお宅に招かれて食事会をしたときのこと。
 緊張しながらも楽しかった食事会が終わり、私を含めた若い人たちが何人か残って片付けをしていた。その片付けも終わって、帰ろうとしたとき、ふと、ジャンパーが置いてあるのが目に入った。そのジャンパーは、庭でバーベキューをしていた際、知事が参加者の一人に貸していたもので、その参加者が先に帰ったため、部屋の片隅に置いてあったものだった。私がそのまま通り過ぎて帰ろうとすると、一人の後輩が、そのジャンパーを手に取って、丁寧にたたみ始めた。酔って良い気分になっているにもかかわらず、こうした細かいところに気が回るとは、なかなかやるなと思った。

 私が本省にいた頃に、秘書官としてお仕えしていたK先生は、省内の廊下やエレベーターの中で、紙くずなどのちょっとしたゴミを見つけると、いつも黙ってそれを拾い上げ、自分のポケットにしまっていた。きれいな職場で、みんなに気持ちよく働いてもらいたいという気持ちのあらわれだろう。とはいえ、誰が捨てたか分からないゴミを、平然と自分のポケットに入れるというのはなかなかできることではない。組織のトップがこうした行動を示すことは、「職場をきれいにしよう」と百回唱えるよりよっぽど効果があると思う。私は、先生がゴミを拾っているのを見るたびに、「この人は何と謙虚な人なんだろう」と感じ入っていた。

 仕事ができる、できないというのは、ちょっとした気が利くかどうか、ということが実は大きいのではないか、と最近感じている。もちろん、ベースラインとして、仕事に対する意欲や能力があることは前提だが、ある一定のレベル以上になれば、そこで顕著な差が付くことは少ないのではないか。他人へのちょっとした気遣いが、職場のコミュニケーションを良くしたり、「あの人が言うなら仕方ないか」という雰囲気につながったりして、結果としても大きな差が出てくるということもあるだろう。その意味では、「ちょっとした気遣い」も、仕事に対する謙虚な姿勢のあらわれであり、意欲や能力の一部であるとも言えるかもしれない。