新・働き方を見直す6 〜余暇について〜

 前回紹介したように、プロテスタンティズムが余暇のあり方を宗教的倫理から制約していたとすると、(ウェーバーのいうように)そうした宗教的な制約が失われた現代社会においては、余暇のあり方が重要であり、そこに現代の働き方を見直すヒントがある。

 なぜなら、余暇は生活時間から労働時間を差し引いた差分であるというだけでなく、働くことを生活の糧を稼ぐという側面から見た場合、何のために働くのか、という問いに対する答えは「(働くことで得たお金を使って)余暇を充実するため」ということになるからだ。

 労働時間を短くすることについては、これまでさまざまな議論がされてきたが、一方で、その結果増えるはずの余暇の使い方については、あまり議論がされていないように思う。余暇の使い方というのは、それこそ個人の趣味に属する領域であり、(規範的な)議論になじみにくい、という側面があるのかもしれない。(かつて、日本人は働き過ぎであり、レジャーの充実が必要だ、という議論がされていたことがあったが、最近はあまり議論されていないように思う。)

 しかしながら、上に述べたとおり、労働時間と余暇は、前者を短くすればその分後者が増えるという関係にある。だから、労働時間を短くする、という議論をするのであれば、その裏腹として、ではそれによって増えた余暇をどのように使うのか、という議論があって良い。むしろ、労働時間を短くする、という議論がさんざんされているにも関わらず、実態としてなかなか労働時間の縮減が進まないのは、その結果として増える余暇の過ごし方についてのビジョンが共有されていないことに原因があるようにすら思う。

 たとえば、「ノー残業デー」の取組は一般的になっているが、多くは「残業をしないで早く帰りましょう」という呼びかけに終わっている。これだと、なぜ早く帰るのか、というところがハッキリせず、労働者にとってみても、何となく人件費抑制が透けて見えてしまうこともあり、仕事があるのに無理矢理早く退社させられる、という印象が強いのではないか。第一、「早く帰れ」だけでは楽しくない。労働者に「早く帰りたい」と思わせるような仕掛けが必要ではないか。

 この点、昨年の夏から内閣人事局が行っている「ゆう活」は、単に早く帰れ、というだけでなく、早く帰ることで生まれる夕方の時間帯を有効に活用しよう、というメッセージを打ち出している点が新しい。「ゆう活」のホームページを見ると、ゆう活の取組例として、「英会話」、「キャッチボール」、「ランニング」、「暑気払い」、「お料理教室」など、さまざまな例が紹介されている。こうした例はすべてイラスト付きで、楽しげなイメージを出そうという意図が感じられる。その意図がどこまで浸透しているかは別として、働き方を変えるためには、労働者に早く帰ろう(帰りたい)という意識を持ってもらうことが必要だ、という方向性は正しいと思う。

 これが地方自治体レベルになると、もっと踏み込んだ取組が可能ではないか。たとえば、ある地域で、毎月第1水曜日は「ゆう活の日」として、その地域の会社に定時退社を呼びかける。そして、地元の商店街と協力して、その日に合わせてレストランや映画館の割引サービスや、街コンなどのイベントを開催する。こうすれば、労働者が早く帰りたい、と思うだけでなく、地元経済の活性化にもつながる。
 実は、このアイデアは、私が大分県庁に出向していた際、県庁が主催していた政策コンテストで提案されたものだ。その名も「ウキウキ水曜日」。企画の名称に、働き方を見直すには楽しいと思ってもらうことが大事だ、という思想がはっきりと表れているではないか。私は本省での経験からこの企画のアドバイザーを引き受けていたが、役所の縦割りにとらわれない柔軟な発想でとても面白いと思った。(その後、大分県でこの取り組みを実現しようと思っていろいろと画策したが、担当部署が違うことや県よりもむしろ市の取り組みということもあり実現できなかった。)

 働き方の見直しを進める上で、残業時間に上限を設けるといった強制的な手法の検討も必要であるが、一方で、労働者が働き方を見直したい、と本気で思うことも必要だろう。その意味で、余暇の使い方について議論することは有益であると思う。