ネットワークとコンテンツ

 ネットワーク時代にはコンテンツが重要だとよく言われる。インターネットという基本的に無料のネットワークがこれだけ普及すると、ネットワークそれ自体で儲けることが難しくなり、そのネットワークに乗せられるコンテンツを押さえている人が有利だ、という理屈である。
 ちょうど私が大学生になった頃から、インターネットの爆発的な普及が始まった。東大で「情報処理」という授業が必修となったのが、私が入学した1995年だ。今や懐かしいMosaicというブラウザを使って、いろいろなウェブサイトを見たり、友達同士で電子メールのやり取りをしたりすることが、とても新鮮で面白かった。ネットワークの持つ力の強さや素晴らしさを、まざまざと実感したものだ。
 あれから20年近くが経って、情報をやり取りするコストは激減し、インターネットで検索すれば、大抵のことは分かるようになった。私の実家には、30巻以上からなるブリタニカの大百科事典があるが、今や百科事典を買う人はほとんどいないだろう。伊坂幸太郎の「モダンタイムス」では、「人が分からないことに出会ったらどうするか。ネットで検索するんだよ。」というくだりがあるが、まさしく同時代の小説という気がする。

 インターネットにより情報の流通コストは劇的に下がったが、一方で、人と人とが実際に出会うことについてのコストは、インターネットが普及し始めた20年前と比べて、あまり変わっていなかった。何しろ人がインターネットに乗って移動するわけにはいかないし、会ったことのない人にいきなりEメールを送っても、無視されるのがオチだ。もしかしたらメールの返信くらいは来るかもしれないが、そこから実際に会うという段になると、実現するのはなかなか容易ではないだろう。

  それが、ソーシャルメディアの登場によって、大きく変わりつつある。特に、フェイスブックの普及は、一度しか会ったことない人や、友達の友達といった、ゆるやかな繋がり(ウィークタイズ)を維持するコストを大幅に下げた。一度「友達」になっておけば、その人の近況や考え方もフォローできるし、その後の連絡も取りやすい(フェイスブックの友達にメッセージを送るのは、Eメールを送るよりもなぜか心理的なハードルが低い。)。自分のタイムラインに書き込めば、「友達」の誰かが知恵を授けてくれる。フェイスブックの登場は、人と人が出会うコストを確実に下げている。

 20年前にインターネットが登場して、情報の伝達コストを劇的に下げるネットワークの力に驚いたように、今、我々は、ソーシャルメディアの登場によって、人と人とを結びつけるネットワークの力に興奮している。20年前に、Mosaicでホームページにかじりついていたように、我々は、フェイスブックで友達の近況をチェックし、昔好きだった女の子を探し出してメッセージを送り、自分の投稿に「いいね!」が押されるたびにチョッピリ満足している。人と情報とを結びつけていたネットワークが、20年経って、ようやく人と人とを結びつけるネットワークとして機能し始めたのだ。

  そうすると、次に重要になってくるのは、そのネットワークに何を乗せられるか、つまり、コンテンツだ。今はまだ、ネットワークすることそれ自体に価値があるし、ネットワークを作ることにみんなが夢中になっている。その必要性はこれからも続いていくと思うが、これからは、そこで何を発信できるかが、問われるようになってくると思う。
 そのときに必要になってくるのが、「この分野では自信を持ってメッセージを発信できる」という専門性を身につけることと、その専門知識を、分かりやすく伝える力ではないだろうか。これまでは、専門家は、その筋の人しか分からない説明しかできなくても、専門家の中で評価されていれば、それで良しとするところがあった。でも、これからは、自分と違った専門分野の人とネットワークを持ち、互いに意見を交換することで、より高い価値を生み出していく可能性が高まっている。だからこそ、異なる分野の人に、いかに分かりやすく自分の専門を説明できるか、ということが重要になってくる。

  幸いにして、私は今、児童福祉の現場にいて、毎日、第一線の魅力的な人に会って話を聞くことができる。ここでしっかり修練して、この分野での専門家になれるよう、頑張っていきたい。