批判を恐れないこと

  人から批判されるのは誰でも嫌なものだ。特に、何かを進めようとして、反対の声が上がると、「どうして邪魔ばっかりするのか」、「何で分からないのか」、という気持ちになる。私も、入省してから、さまざまな部署で批判されることがあり、そのたびに、嫌な気持ちになった。厚生労働省は、年金の問題や、高齢者医療の問題など、ここ数年、批判され続けており、これだけ批判されると、そもそも何かを積極的にしようという気がなくなってくる。

 ところが、最近、ある友人に言われた一言が、その考え方を変えるきっかけになった。その友人は、「批判をするということは、その問題に関心があるということだから、むしろ、そういう人を積極的に巻き込んでいくべきだ」、と言うのである。その言葉を聞いたときは、まあそんなものかな、と、あまりピンと来なかったが、その後、人の意識を変えていくにはどうしたらいいか、ということを考えるようになって、先に聞いた友人の言葉の意味が分かるようになってきた。

 前回のエントリーで書いたとおり、「できごと」を変えるためには、「人の行動」を変える必要があり、「人の行動」を変えるためには、その行動の前提となっている「人の(潜在)意識」を変えることが必要だ。そのように考えてみると、「できごと」のレベルでは批判しているようでも、「人の(潜在)意識」のレベルまで降りていって考えれば、実は、批判している人も、自分と同じ方向を向いているということが、意外に多いのではないか。
  例えば、私は職員の働き方を見直すプロジェクトチームに入っていて、「朝メール」という、毎朝自分の予定を班内で共有するという取り組みを、省内で試験的に実施する、というプロジェクトを担当していた。その際、「何でもかんでもメールでやりとりするのは、かえってコミュニケーションが減るのではないか」、「仕事のやり方を見直さずに、朝メールのような形式的なものをやっても意味がない」、といった批判があった。
 こうした批判は、一見すると「朝メール」の導入に反対しているようだが、よく考えてみると、その背景には、「今の働き方に不満があり、改善したい」という思いがあり、その点では私が目指す方向と一致している。私も、「朝メール」を導入すること自体が目的なのではなく、その導入を通じて、働き方を見直すことが目的なのだから、実は、反対どころか、こうした批判をする人たちは、同じ志を持った「味方」と考えるべきなのだ。
  むしろ、気にしなくてはならないのは、「無反応」、「無関心」の人たちで、こうした人々は、仮に(しぶしぶながら)「朝メール」を導入したとしても、それこそ形式的に、あるいは義務的に実施するだけで、結局、働き方の見直しにはつながらない可能性が高い。
 だから、反対意見が出ることは、むしろ歓迎すべきことで、そういった人こそ仲間に引き込んでいかなければならない、と思うようになった。

  こうしたことは、働き方の問題だけでなく、他の分野にでも言えるのではないだろうか。現在、我々が直面している問題を考えるとき、その多くは、少子高齢化、グローバル経済、財政赤字といった要素を考慮すれば、現実的な解決策というのはかなり限られている。一見異なる意見に思えても、よく議論すれば、目指している方向はそう変わらないのではないかと思う。

 そこで大切なのは、前提事実の共有だ。前提となる事実認識が違っていると、「あなたの批判は事実誤認です」というやりとりになり、建設的な議論に発展しない。私は以前、特別会計の見直し(母屋でお粥を食べているときに、離れですき焼きを食べている、と批判された頃である)に携わったことがあるが、その対応に本当に嫌気がさした。何しろ、マスコミ報道の多くが事実誤認(良くて誇張(※))であり、土日に出勤しては、「この記事はここが間違っています」というレポートを書き続けなければならず、精神的にかなり辛かった。批判であっても、きちんと的を得たものであれば、こちらも参考になるし、改善につながる可能性もある。ところが、事実誤認に基づく批判だと、「あなたの批判のどこが間違っているか」という対応になってしまい、批判する方もされる方も、お互いに、イライラするだけで終わってしまう。
 ※例えば、「無駄遣い5年で8億円」という記事があったが、事実は、4〜5年前に7億5千万円程度の「無駄遣い」があり、その後改善されて、最近ではほぼ無くなっていた、ということがあった。確かに5年で8億円という点は間違いではないが、現在でも相当の無駄遣いが続いているという印象を与える記事だと思う。

  したがって、前提となる事実をどう設定するかが、とても重要なポイントになる。事実なのだから、設定も何も、簡単ではないか、と思うかもしれないが、物事にはさまざまな側面があるから、どこに着目するのかで、議論の前提は異なってくる。実はそこにこそ、官僚が政策決定をする上での最大の強みがあるのではないか、と思っているが、それはまた次回。(つづく)