自律性

 最近、自律性についてよく考える。きっかけは、デシの「人を伸ばす力−内発と自律のすすめ」という本を読んだことだ。県庁に赴任して管理職になったことや、3歳になる息子と過ごす時間が増えたことも、要因の一つかもしれない。

 自律性とは、他人から「させられる」のでなく、自らが主体的に選択していく、ということだと理解している。以前、このブログで、金銭などの報酬やペナルティによる動機付けが、自律性を損なう可能性がある、ということについて少し触れたことがある(http://d.hatena.ne.jp/sadaosan/20120610/1339299591)が、自律性は、何かをすることの動機、つまりモチベーション(やる気)に関わっている。逆に言えば、他人に何かをしてもらいたいとき、どうやったら効果的にしてもらうことができるか、その鍵が自律性である。

 そのことを示すエピソードを2つ紹介したい。
 3歳になる私の息子は、歯みがきが大嫌いで、夜寝る前に歯みがきをするのに、毎晩大騒動だった。歯みがきは絶対にしないといけないんだよ、しないと歯に虫が来るよ、お姉ちゃんもきちんとやってるよ、といくら諭しても、「ヤダ」の一点張りで逃げ回る。それを押さえつけて無理矢理ハブラシをするのは一苦労だった。
 あるとき、私は息子を押さえつけながら聞いてみた。「お母さんが歯みがきするのと、お父さんが歯みがきするのと、どっちがいい?」息子の答えは、「ママがいい。」そこで、妻にバトンタッチしたところ、意外にスムーズに歯みがきができた。子どもに選択肢を与え、どちらに磨いてもらうか自分で選択させる(=自律性)ことで、歯みがきへの心理的抵抗が抑えられたと考えられる。
 これは良い方法だと思って毎回繰り返していると、一週間もしないうちに、「お父さんとお母さんのどっちがいい?」と聞くと、「どっちもヤダ」と答えるようになった(笑)。選択肢がおかしいということに気づいたのかもしれない(しばらくしてから気づくのがかわいいところだ。)。
困ったなと思って次の方法を探していると、博多に旅行した際、息子の大好きな新幹線が柄になっている歯ブラシがあった。それが欲しいというので買ったところ、毎日の歯みがきをすんなりとさせてくれるようになった。これは、息子が自分で歯ブラシを探し出して買ったことで、歯みがきに対する主体的な意識が芽生えたのではないかと思う。もし、私から「この歯ブラシで歯みがきしない?」と聞いていたら、こうはならなかったかもしれない。歯ブラシを取り替えるだけで、こんなにも違うのかとあきれたが、この辺が子育ての面白いところでもある。
 次のエピソードは、ある里親さんから伺ったものだ。この里親さんは、里子として預かっている子どもが、学校に行きたがらずに困っていた。里親さんとしては、一日おきとか、午前中だけとかでもよいから、何とか少しでも学校に行ってほしいと思っていたが、本人がなかなかその気にならない。そこで一計を講じて、「学校に行ったらサービス券を一枚もらえる。サービス券が5枚たまったら、学校を1日休める」というルールを作ったところ、うまく学校に行くようになったという。学校に行ったら(いわば)不登校券がもらえる、というのは、何とも逆説的なルールで、よくこんな発想が浮かぶものだと感心したが、それはともかくこうしたルールにすることで、これまでうるさく言われていやいや登校していたのが、本人が主体的に自分の意志で学校に行く、という意識に変わったのだろう。

 本人の自律性が、何かをしようという動機付けに強く関係しているという事例は、実は身近にたくさんある。「宿題をやりなさい」と言われたとたんに宿題をする気がなくなる、というのは、誰しも経験があるだろう。自分が考えた事業ならいくらでも頑張れるが、人から引き継いだ仕事はやる気がしない、ということもよくある。起業した人が活き活きと働いている(ように見える)のは、自律性と大いに関連しているだろう。

 こう考えていくと、自律性の問題は、他人との関係だけでなく、自分自身の問題でもあることに気づく。毎日を、自律的に過ごしているかどうかを意識することで、少しでも前向きに、楽しく生きていくことができるのではないか。同じ仕事をするにしても、それを「やらされ仕事」と感じるか、それとも「自分の仕事」と感じるかによって、やる気や仕事の喜びはまったく違ってくる。「面白き こともなき世を 面白く」とは高杉晋作の辞世の句とされているが、これも、心の持ち方一つで、世界が変わって見えるということを表しているのではないかと思う。