叱ること、叱られること

  最近、職場で叱る人が少なくなった気がする。私が社会人一年目のときの上司は厳しい人で、よく叱られた思い出があるが、同期と話していても叱られている人が多かったように思う。私が入省する以前には、決裁を破り捨てたとか、紙ヒコーキにして飛ばしたとか、そういう“武勇伝”を持った上司がいたようで、それはさすがにどうかと思うものの、だんだんと厳しい上司が減ってきて、上司が部下を叱っている光景を目にすることが少なくなると、それはそれでどうなのか、という気もする。

 叱られているときは、「うるさいなあ」と思うこともあるが、後になってみると、叱ってもらってよかったな、と思うことも多い。私が係長のときの上司も厳しい人だったが、私が毎日10時前に会社に出勤していたら、9時半には来て下さい、と(厳しい人だったが)遠慮がちに指導された。以来、今に至るまで朝は(おおむね)時間どおりに出勤するようになった。また、秘書官に着任した当時は実はひげを生やしていたのだが、着任当日、お仕えしていた先生から飲みに誘われて、「その、ひげを剃ってもらうことはできないかな?」と、とても申し訳なさそうに注意された。今から思えば、やっぱり秘書官はさっぱりしていたほうが良いと思う。自分が叱られた思い出として、怒鳴られたことでなく、申し訳なさそうに指導されたことが真っ先に思い出されるのは不思議と言えば不思議だ。

  反対に部下を持って人に注意する立場になると、どうやって叱るのか結構悩む。上に挙げた私が注意された例もそうだが、特に、仕事の中身と直接関連しない勤務態度や生活態度を注意するのは気を遣う。下から見ているときは気づかなかったが、上は上で「あんまり厳しくしすぎて会社に来なくなったらどうしよう」とか、「こんな風に注意したら気を悪くするのではないか」などと考えているものだ。世の中に部下の叱り方の本があふれるゆえんである。

 職場でだんだん地位が上がっていくと、叱られるのではなく、あいつはダメだと見放されることになる。叱ってくれる人は貴重だ。一方で下手な叱り方、うまい叱り方というのもある。私はかつてひげを注意されたとき、自分の秘書に対する注意なのに、あまりに申し訳なさそうな言い方だったので、それでその人のことがすっかり好きになってしまった。叱られて好感を持つとは、人間関係とはなかなか難しいものだと思う。