書評 〜「ひとの発達と地域生活慣行−循環・持続する発達環境を−」(山岸治男(2012)、近代文藝社)〜

 地域での祭りや行事などの地域社会の生活慣行(地域生活慣行)が、ひとの発達にどんな影響を及ぼすのか−−本書は、ひとの発達における地域生活慣行の重要性や、そうした慣行が廃れつつある中で、子どもたちの健やかな育ちを確保するために、何が必要なのかについて論じている。

 著者の山岸先生は、大分大学で教育社会学を教えてこられたほか、交通指導員、町内会長、PTA会長、放課後クラブ運営委員、スクールカウンセラーなどの地域活動に長年にわたり携わってこられた。大分県が主催する「子ども・子育て応援県民会議」(子ども・子育て会議)の会長をお願いしている関係で、個人的にも若干のお付き合いがある。
 話が脇道にそれるが、この山岸先生は、とても温和で品格のある方で、初対面で少し話しているだけでも、こちらの背筋が自然と伸びてくるような雰囲気がある。遅ればせながら今回先生の著書を拝読して、この先生にこの思想あり、と、改めて敬服した。

 著者の主張の要諦は、おおむね「はじめに」に書かれている。すなわち、この文明社会において、ルールやマナーを守れない「野生児・者」が現れるのはなぜなのか。それは、まっとうな発達過程を辿らないで過ごせる社会を作ってしまったからである。ではどうすればよいか。その鍵は、現代社会が捨て去ってしまった「地域生活慣行」にある、という。

 現在、子育ての分野で大きな課題となっているのが、地域や家庭での「子育て力」の低下である。従来から、人々は子育てに大変苦労してきたが、地域の人たちの手助けや見守りによって、何とか子育てをまっとうしてきた。ところが、近年そうした地域の力が低下したことにより、子育てが「孤育て」、すなわち孤立化・密室化した。その結果、信じられないような児童虐待が起きたり、それまで家庭や地域で解決できていた問題が保育所や小学校に持ち込まれたりするようになっている。今般、子ども・子育て支援法が制定されるなど、子育てに対する支援が制度的に充実することになったが、その根底に流れる問題意識は、地域や家庭の「子育て力」の低下を、社会全体としてどう支えていくか、という点にある。

 ではなぜ地域や家庭の「子育て力」が低下しているのか。その背景の一つが、本書が指摘する、祭りや地域行事などの「地域生活慣行」の喪失であると考えられる。著者によれば、地域生活慣行には、半強制的な「通過儀礼」の意味が伴っており、各年齢ごとにそうした経験を累積することで、心身の発達を図り、成熟した成人にさせるための「教育装置」としての役割があるという。たとえば、秋田県の「なまはげ」には、子どもに対して年長者への畏敬の念を持たせる機能や、大人に対して「悪ガキ」を許す度量を自覚させる機能、また長老に対しては自己修養の戒めを与える機能があるという。

 その上で、著者は、こうした地域生活慣行が衰退した背景として、「新自由主義」の影響を挙げる。新自由主義は、個人を社会のいろいろなしきたりやしがらみから解放する一方で、人間をばらばらな消費者という個人に分解してしまった。そのことが、人間関係を「好き」「楽しく面白い」「自分にとって有利」といったキーワードでしか作れない人を大量に生み出している、と指摘する。このあたり、新自由主義が民主主義に与える影響を論じた「<私>時代のデモクラシー」(宇野重規著、岩波新書)の主張と重なるところがある。
 また、著者は、新自由主義は、個人間の「ネットワーク」を作ることはあっても、諸個人を束ねる「集団」を形成する思想とはなりにくい、と主張する。「ネットワーク」が「僅かな有限責任しか負わないで済ませられる」のに対し、集団とは、用水・農道や漁場などの管理・運営、消防組織や祭りの運営などの「きょうどう」を通じて結びつく「いわば無限責任が伴うとも言える」ものだという。「ネットワーク」全盛の時代にあって面白い指摘だと思う。

 ここまででも十分興味深い内容だが、この本の神髄はその先にある。少し長いが本文から引用する。
「こう記すと、「またお説教か」「社会が悪いのだから仕方ない」などとお叱りを受けそうです。そこで、わたしもこちらの「言いぶん」を少し記します。「では、あなたは、そうした実際のトラブルに、解決を目指して正面から責任ある立場で向き合ってきましたか?」と。
自分で言うのはどうかと思いますが、わたしは、町内会長、小・中学校PTA会長、交通指導員、中学校放課後学習支援ボランティア、放課後児童育成クラブ運営委員、校区公民館建設委員、地方法務局人権擁護委員などとして、町内会や小学校区という比較的狭い範囲の地域社会に相当程度責任を持つ立場でこの三十年ほど関わっています。わたしの「言いぶん」はこれらの活動を通して経験し、解決に向けて取り組んできた多くの事例を経た「言いぶん」です。
 この本が素晴らしいのは、理念だけでなく、著者の長年にわたる地道な地域活動からの経験、教訓が、議論の背骨としてしっかりと貫かれているところである。そして、上で引用した「では、あなたは、そうした実際のトラブルに、解決を目指して正面から責任ある立場で向き合ってきましたか?」という問いかけが、我々の胸に突き刺さる。我々も皆、地域社会の一員であるが、実際に、地域での活動を実践できているかといえば、はなはだ自信がないという人が多いのではないだろうか。本書が他の本と一線を画すのは、温和で品格のある著者の裏側にある烈しさを感じさせるまさにこの視点である。