時代の半歩先へ

 行政として、法律や制度を改正して社会を変えたいと思うとき、時代の半歩先を目指すことが必要だと思う。ゼロ歩では意味がないし、一歩先では進みすぎて実現が難しいからだ。

 私がかつて担当した育児・介護休業法の改正。3歳までの子を持つ労働者に対して短時間勤務制度を設けることの義務化や、子の看護休暇制度の拡大、介護休暇制度の創設など、改正内容は多岐にわたるが、労使間での調整が一番難航したのが男性の育休促進(妻が専業主婦でも一歳まで育休が取れる等)だった。

 育児に伴って女性が利用できる休業・休暇制度は、実は、多くの大企業で既に法律を上回る社内制度が実施されていた。短時間勤務制度はもちろん、3歳まで育休が取れる、という制度を設けている企業も少なくない。ところが、男性が育休を取るという習慣は、大企業も含めてまだほとんど普及していない。だから、女性の権利を拡大するよりも、男性の権利を拡大する方が、企業にとって影響が大きい。実際、子育て中の男性が、みんな育休を長期間取り出したら、経営への影響は大変なものになるだろう。

 法案の内容を審議する審議会で、経営側は男性の権利拡充に最後まで強く反対した。「現行の制度でさえ男性の利用は少ないのだから、その権利を拡充する前に、現行の制度の利用を勧めるべきではないか」という経営側の主張にも、確かに一定の理があり、一時は、強行突破して全体が壊れるよりは、男性の権利拡充については先送りもありうるか、という雰囲気になりかけた。私自身、当時の課長に「男性については降りないでほしい」と訴えたものの、課長が全体の判断として男性の権利拡充をあきらめたとしても、最後は仕方ないかと思っていた。

 そこを土俵際で踏ん張ることができたのは、世論の後押しがあったからだ。当時、「イクメン」という言葉はまだ全く普及していなかったが、審議会での議論が進むにつれ、新聞をはじめとするマスコミは「男性の育児参加こそが大切だ」とこぞって報道した。審議会の場でも、大学教授などの公益委員が、男性の権利拡充の必要性を強く訴えた。
 こうなってくると、経営側も反対を貫くことが難しくなってくる。「男性の育児参加が進まないのは、経営側が反対しているせいだ」と批判の的になる可能性があるからだ。こうして、最後は経営側も男性の権利拡充について賛成に転じた。経営側にとっても、ぎりぎりの判断だったと思う。

 その後の「イクメン」ブームの盛り上がりを見れば、男性の権利を拡充して本当に良かったと思うし、後から振りかえればやって当然だと思えるかもしれないが、改正の議論の渦中では、実にぎりぎりの攻防だったのだ。もし10年前にこの改正内容が提案されていたら、経営側の反論が通って改正ができなかったかもしれない。それを、経営者は頭が固いとか、既得権益とか言うことは簡単だが、私は、それが法律を改正し、権利・義務を創設することの重さであると思う。市場であれば、商品やサービスを買うかどうかは、消費者が選ぶことができる。ところが、法律で規定されれば、それは本人の意志にかかわらず強制・一律に適用される。だからこそ、規制によって社会を変えていくとすれば、それは半歩ずつ、慎重に進んでいかざるを得ないのだろうと思う。それが、時代の1歩先、場合によっては3歩先を目指すビジネスやNPO活動との違いだ。

 法律はいつも現実の後追いだ、という批判があるが、県庁に赴任して、そのことを改めて実感する。私が現在担当している子育て支援の分野では、長年にわたるすったもんだの議論の末、ようやく法律が改正され、幼稚園と保育園との一体化が進められることになったが、現場に来てみれば、何のことはない、ほぼすべての幼稚園で預かり保育をしているし、保育所でも特色ある教育が行われていて、実態としては両者はかなり近づいている。また、改正法が目指している認定こども園と地域との連携も、既に法が想定している以上に実現できている園もある。逆にいえば、実態がそうなっているからこそ、ようやく法律が改正された(できた)とも言えるだろう。
 法律や制度に先駆けて、進んだ取り組みをしているところは、それらが改正されるずっと前から、地べたを這うような努力を積み重ねて、自分の力で道を切り開いてきた。そういったところを、行政として応援したいという気持ちは自然ではあるけれども、実は、行政として応援しなくても、既に十分やっているし、これからも十分にやっていけるという場合が少なくない。行政の人間が、ぱっと見てあれこれと支援のメニューを考えても、現場ではさんざん試行錯誤した上で、行政が考えるようなことはすべて実行済みなのではないか。だから、進んでいる実態を見て、それを行政として支援したいというのは、行政らしい傲慢さというか、おこがましさの表れではないかという気もする。
 もちろん、進んでいる取り組みをしているところにも、行政として支援できることがあれば構わないのだけれど、せめて、そういう進んでいるところの邪魔をしないこと、そして、そのような先進的な取り組みを学んで、他の団体や地域に広げていくところに、行政としては注力すべきではないかと感じ始めている。