支援を行き届かせるために

 この4月から県庁で働くようになって、早いものでもう半年が過ぎようとしている。これまで現場を回っていろいろなことを感じてきたが、その中でももっとも強く感じていることが、支援が必要であるのに、必要な支援が行き届いていない人がいかに多いかということだ。

 なぜ、必要な支援が行き届かないのか。いくつかの要因がある。一つは、制度的に必要な支援が欠けている場合。制度の谷間や、予算の制約などの理由で必要な支援が制度的に整っていないケースがある。例えば、難病の方への医療費助成などの制度面・予算面での支援は、まだまだ不十分であるように感じる。もっとも、障害者自立支援法が改正されて難病の方も支援の対象になったり、これまで母子家庭のみであった児童扶養手当の支給対象が父子家庭にも広がったりと、制度的な対応は、少しずつ進んではいるとは思う。
 制度的な支援が欠けていることがあるということは、しかし、以前から分かっていた。私が現場に来て感じるのは、むしろ、制度的には支援の対象となっていながら、支援が行き届かないケースがいかに多いかということだ。

 福祉の制度では、通常、支援を求める人が何らかの申出なり申請なりをして、場合によっては行政がその審査をして、支援の対象となるということが認定されれば、現実に支援が実施される、という手続きになっている。そのこと自体は、必要な支援を効率的に届けるという点で、また何より自助・自立を尊重するという点で、理に適っていると思う。ところが、そのプロセスの中で、支援が必要であるのに、支援を受けることを申し出ないという人が、かなりの程度出てくる。それは、できる限り自分の力で何とかしたいという気持ちの表れであったり、人様に迷惑をかけては申し訳ないということであったり、あるいは支援を受けることで誇りが傷つけられるということであるかもしれない。

 制度があるのにそれを使わないのは、使わない方が悪いのだ、という考え方は、まさしく行政の傲慢であると思う。制度は、必要な支援を実際に届けるために存在しているのであって、制度上の支援が届かないことを支援が必要な人のせいするという発想は、本末転倒というほかない。申請が来ないのだから仕方がない、ではなくて、なぜ、必要な申請が来ないのか、そのことを謙虚に受け止めて、必要な支援を行き届かせるために何が必要なのかを考えなければならないと思う。

 かつて、私が制度改正に携わったとき、当時の上司であった課長は、「制度から人を見るのではなく、人から制度を見なくてはいけない」とおっしゃっていた。長年、制度の運営や改正に携わっていると、どうしても制度の側から人を見るようになってしまう。このブログを書いていて、改めてその言葉の重さを実感した。