人の話を聞く

 悩みを相談されたら、答えを教えてあげるのが良い相談相手だと思っていた。わざわざ相談をするくらいなのだから、相手もきっと答えを求めているはずだ。だから、いかに適切な解決策を示せるかが、相談される人の力量だと思っていた。
 ところが先日、「傾聴」の研修を受けて、そうではないことを知ってショックを受けた。相談をしている側も、必ずしも答えを求めているわけではなく、そういう場合には、解決策を示すよりも、むしろ、話をきちんと聞く技術が求められるというのだ。

 「傾聴」とは、文字どおり、相手の話を聞くことであるが、その研修の講師によると、「傾聴」は信頼関係を作るための技術であり、話を聞き出す技術ではなく、相手の人が話したくなる技術であるという。児童福祉を始め、福祉の現場では、人が人を支援するということが基本になるが、その際に必要になるのが、支援する方とされる方との間の信頼関係だ。福祉に携わる人間にとって、相談相手との信頼関係を築くことのできる「傾聴」スキルは、必須のものとも言えると思う。

 その研修は、「話を聞くときは両足をしっかりと地面につけよう」といった、とても実践的な教えが多くて大変勉強になったが、数ある方法論の中で私が一番印象に残ったのは、相手の言葉をそのままオウム返しにする、というテクニックだった。どういうことかというと、例えば、「実は、うちの娘が不登校なんです。」と相談をされたら、「不登校なんですかー。」と答え、「それで、毎日家の中にいるんです。」と言われれば、「そうですかー。毎日家の中にいるんですね。」と答える。そして、「何とかしたいと思っているんです。」と言われれば、「それは大変ですねえ」などとは言わずに(誰も大変だなんて言っていない)、「何とかしたいと思っていらっしゃるんですね。」と答える、という方法だ。
 文字にすると、どこまでうまく伝わっているか不安だが、実際にこれを目の前でやっているのを見ると、確かに、相談している側が、徐々に心を開いていくのが分かる。これは、相談に対して何らかの解決策を示すというよりも、相手の悩みを聞き、それを共有することで、相手の心の負担を軽くする、という効果を狙ったものだろう。悩みがある人は、それが解決するのがもちろん一番いいのだが、そんなに簡単に解決しないからこそ悩んでいるわけだ。解決が難しい問題を抱え込んでいるとき、話を聞いてもらえるだけでも助かるということは多い。せっかく話ができても、聞き手がうまく話を聞くことができなければ、相談した方も「この人は話が分からない」となって、より孤独を深めてしまう。助けが必要な人が孤立してしまうこと、それが一番避けなければならないことだ。

 私自身は現場に出ることはないので、この「傾聴」のスキルが仕事の上で直接役に立つ場面はないかもしれないが、実はこのスキルは、さまざまな場面で役に立つ。その最たるものが家庭での会話だ。もうすぐ3歳になる息子は、だいぶ言葉が出るようになってきたが、ときどき、自分の意思がうまく伝えられなくていらいらしている。そのとき、このオウム返しテクニックを使うと、自分がいらいらしていることが私に伝わったのが分かるのせいか、だいぶ落ち着くのだ。それから、妻との会話。「最近、あなたと話してもすぐ会話が終わってしまう」と愚痴をこぼされて、私は「すぐに結論が出てるんだからいいじゃないか」と内心思っていたのだが、どうもそういうことではないらしい。もっともあんまりオウム返しをしていたら、その作戦がバレて、「何も考えてない」とかえって機嫌を損ねそうだが。