「障害の受容」

 自分の子どもに障害があると言われたら、どんな気持ちがするだろう。自分のせいだと自分を責めたり、ちゃんと育てられるだろうかと心配になったり、将来はどうなるのだろうと不安になったりするだろう。あなたの子どもに障害があるかもしれない、と言われたところで、ハイそうですか、とすぐに受け入れられる親はいないだろうと思う。
 一方で、子どもに障害がある場合、専門的な支援(療育)を行うのが早ければ早いほど、その後の発達に良い影響を与えるということがはっきりしている。したがって、早期の療育につなげるためにも、いかにして、その保護者に子どもの障害を受け入れてもらえるか(=「障害の受容」)、ということが大切になってくる。

 そんなことを考えていたら、先日、ダウン症児を持つ保護者の方と懇談する機会があった。
さまざまなご意見を伺うことができて大変ためになったが、その中でもっとも私の心に残ったのが、「療育手帳(※)を申請したら、『何に使うのですか』と聞かれて傷ついた」という発言だった。

 ※ 療育手帳というのは、知的障害児・者に対して自治体から交付される手帳で、それを持っていると、自治体や障害の程度によっても異なるが、バスやJRなどの料金の減免などの支援が受けられる。他方で、療育手帳を持っていなくても、専門的な療育を受けることは可能である。

 その保護者の方によると、療育手帳を取っても直接的なメリットは少ないけれども、その手帳を取ることで(障害を受け入れたくないという)気持ちに区切りをつけ、新たな一歩を踏み出したい、という思いで手帳の交付を申請したという。そこへ、行政の担当者から、「何に使うのですか」と言われたというわけだ。

 行政の担当者は、なぜ、療育手帳を取る理由を尋ねたのか。それは、子どもが小さいうちに手帳を取っても、直接的なメリットがあまりないからこそではないだろうか。メリットがないのに、どうして申請するのか。何の気なしに聞いても不思議ではない。さらに考えるならば、療育手帳を取得するためには、児童相談所で判定のための面接を行う必要があるが、その面接は2〜3か月待ちといった状況だ。もし、療育手帳を急いで取らなければならない何らかの理由があれば、優先して予約を入れるということも考えたのかもしれない。そしてこのケースは、お子さんがダウン症だから、早期に確定診断を付けることが可能だ。だから、保護者の方が、どういう気持ちで療育手帳を申請したのか、その気持ちに思いが至らなかったのではないかと思う。

 「障害の受容」。文字にするとたった5文字だが、そこには保護者の方の大変な思いが詰まっている。その思いを完全に理解することはできないのかもしれないが、想像力を働かせて、最大限、その人の気持ちに寄り添うこと。それが福祉の原点だと思う。
 
 「障害の受容」という言葉を安易に使っていた自分を反省した。