心の声を聞く②

 前回の続き。
 デシによれば、人間の感情とは、自分が本来こうありたいと思う姿と、現実の姿とのギャップを表すシグナルだという。例えば、仕事で成果を上げて期待に応えたいが、現実はなかなか成果が出ないと、プレッシャーを感じる。一向に仕事をしない人に怒りを感じる。本当はたくさん食べたいけれど、ダイエットのためにそれが実現できないと、いらいらする。テスト前になると、なぜか本を読みたくなったり掃除をしたくなったりする。

 このような感情を十分に「経験」することが必要だ、とデシは言う。感情を「経験」するとは、私の理解によれば、そういったマイナスの感情を抑圧するのではなく、十分に「味わう」ことだ。つまり、怒りを感じたときに、それを(自分自身に)ごまかしたり、気をそらしたりするのではなく、まず、自分は怒りを感じているということを認識した上で、なぜ、自分は怒りを感じているのかを考え、そして、その怒りをどう処理するかを考えるということだと思う。

 なぜ、そうした感情を十分に経験することが必要なのか。デシは、喜び、悲しみ、興奮、怒りといった感情を経験することは、人生の変化に対してうまく適応していくのに必要である、と主張する。自分がどのようなときに、どのような感情を持つか、ということを通じて、自分が本当に求めているものが分かる。それによって、感情が行動を決めるのではなく、感情は、行動を決める際の情報の一つになる。感情を十分に経験し、それをどう表すかを自由に決めることができること、それが自律的に自分の人生を生きることにつながるという。

 私は、前回も書いたように、どちらかというと、怒りや悲しみといったマイナスの感情を避ける傾向にあり、仮にそのような感情が起こりそうなときは、別のことを考えて気をそらしたり、少しでも良い点を見つけたりして、そういったマイナスの感情が起きるのを抑圧してきた。それは、「怒りや悲しみを感じ、表すことは損だ」という無意識の価値観に基づいた、無意識の心の作用だったように思う。そうしたいわば無意識の訓練を、思春期以降二十年近く続けた結果、最近では、純粋な怒りや悲しみを感じることが、とても少なくなったように感じる。

 そのことが良いことだったのかどうか。確かに、怒りや悲しみといったマイナスの感情を表に出さないことで、他人と(少なくとも表面的には)良い関係を築きやすくなる面はある。だが一方で、何を考えているか分からない、と思われているかもしれない。怒りや悲しみに身を任せて行動して後で後悔する、という経験はほとんどないが、なぜか大声で喧嘩をしている夢をよく見る。少なくとも、今までのところはうまくいっているような気もするが、それは、今までの人生が比較的順調だったからで、これから先、もし、大きな危機がやってきたら、それに適応できるのかどうか。

 もちろん、怒りを感じることと、それを表情や行動で表すことは別のことで、怒りを感じたからといって、それを必ず表に出さなければいけないということではない。怒りを感じても、周囲の状況を考えて、それをぐっと飲み込むということもあるだろう。ただ、肝心なことは、「感じて、こらえる」というプロセスを実感することであり、それを省いて、「そもそも感じないようにする」と、心の中に無意識の葛藤が生じて、それがストレスにつながるような気もする。

 今よりもう少し、心の声を聞いてみようか。