心の声を聞く①

 子どもは感情表現がとても豊かだ。泣いたり笑ったり、怒ったり。そして、「場の空気」を読むことなど全くせず、感情をストレートに表に出す。親が一生懸命子どものためを思って準備しても、嫌なものは嫌。「しない」の一言でばっさり斬られるのは、腹が立つのを通り越して、いっそ清々しくさえある。一方で、子どもの笑顔ほど癒されるものはない。子どもが笑っているのは、気を遣っているからではなく、心から楽しいからだということを知っているからだ。他人に気を遣わず、思いのままに感情を表現するからこそ、子どもはかわいい。

 それが、やがて幼稚園や小学校に入り、集団生活が始まると、子どもも感情をコントロールする必要性を学ぶ。自分の感情をいつも素直に表に出していると、周囲とぶつかったり、損をしたりするということに気付く。だから、すぐに怒ったり泣いたりする人は、「大人」の中にはあまりいない。そういう人は「子どもっぽい」と非難される。感情をコントロールできるかどうかが、子どもと大人を分ける一つの分水嶺かもしれない。

 しかし、感情のコントロールができるようになったからといって、大人が怒りや悲しみといった感情を感じなくなるわけではない。コントロールされているから気付きにくいだけで、大人も確かに喜怒哀楽を感じている。感じているけれども、それをストレートに外に出しては不都合が生じることが多いから、感情が表に出ないようにする。そうしているうちに、自分自身の中でさえ、そのような感情を感じなくなってくる。感情が表に出ないように我慢するより、自分自身をいわば騙してしまった方が手っ取り早いということもある。

 私は、子どもの頃は、どちらかというと短気な性格だった。よく怒っては人とぶつかった。それで、怒ることは損であるということを学んだ。だから、なるべく怒らないよう、あるいはそもそも怒りを感じることのないよう、感情をコントロールするようになった。悲しみや不安といったマイナスの感情も、できるだけ避けるようにしてきた。ハッピーエンドでないドラマは嫌いだった。わざわざ時間をかけて、どうして悲しい気持ちにならなければいけないのかと思っていた。つまるところ、怒りや悲しみ、不安や恐れといったマイナスの感情がなるべく起こらないよう、そういう物語や、あるいは現実からはできるだけ目をそらしてきた。

 そんなとき、エドワード・デシの「人を伸ばす力」を読んだ。デシは、次のように書いていた。生きていることのほんとうの意味は、単に幸福を感じることではなく、さまざまな人間の感情を経験することである。怒りを感じたとき、人はとてつもない力を発揮する。悲しみを感じることは心の栄養となる。人は、もちろん失敗したり、愛する人を失ったりすることを望まないが、これらの経験に伴う純粋な感情を経験することは、人生の変化に対してうまく適応していくのに必要である。

 大変ショックを受けた。(つづく)