ギリシャの選挙

 デモクラシーの語源は、ギリシャ語の「デモクラティア」であるという。そのデモクラシー発祥の地、ギリシャの選挙が、いま、世界から注目されている。
  最大の論点は、ユーロ圏にとどまるために、緊縮財政策を取るかどうか、ということだ。既に先週、一度選挙があり、緊縮財政策に賛成する党が第一党となったが、過半数に至らず、連立協議も不調に終わったため、近く再選挙が行われる見通しだという。

 新聞によれば、仮に緊縮財政策に反対する党が政権を取った場合、ギリシャはユーロからの離脱を余儀なくされ、ドラクマギリシャの通貨)の価値が暴落し、ハイパーインフレになるのではないか、という。そんなことになったら、国民生活は大変な混乱に陥ると思うが、それでも、最近では、むしろ緊縮財政に反対する世論が高まっていると報道されている。なぜ、ギリシャの人々は、自分たちの生活が混乱するような道を敢えて選ぶのか。

  これは想像でしかないが、緊縮財政に反対している人々は、もし、緊縮財政に反対するという政権が誕生したら、ユーロから離脱せざるを得なくなるとか、いわんやハイパーインフレになるということを、現実のものとして受け止めていないのではないか。将来のリスクが現実化する可能性が不明である一方で、生活が苦しいという現在の状況があったとすれば、将来よりもまずは現在の状況を改善することが先決、と考えるのも無理はない。
 おそらく、緊縮財政に反対している党は、財政緊縮策を取らなくても何とかなる、という主張をしているのだろう。確かに、仮にギリシャが財政緊縮策を放棄した場合、本当に、ユーロ圏からの離脱やハイパーインフレになるのかどうかは分からない。ただ、そういった主張が一定程度受け入れられる背景には、ギリシャ国民の中に、本当にハイパーインフレになどなるはずがない、という思い込みがあるのではないだろうか。

  外から客観的に見た場合と、内にいる当事者として見た場合とでは、危機に対する認識が異なるということは良くある。それは、当事者になると、自分には危機が及ばないと思い込みがちになるからだ。戦争のとき、最前線にいる兵士は、自分にだけは弾が当たらないと思い込んで敵地に飛び込んでいく、という話を聞いたことがあるが、そこまで行かなくても、自分だけはガンにならない、自分だけは交通事故に遭わない、といった思い込みは、誰しも少なからず持っているのではないかと思う。

 ところが、現実には、そういった危機は突然やってくる。先の東日本大震災は言うに及ばず、戦後の日本でも、5年間で約70倍、戦前からカウントすると15年間で約220倍というハイパーインフレを経験しているが、当時の政府も、インフレに対する危機感は薄かった。終戦直後の大蔵大臣であった津島寿一は、戦争の終結によって軍事費の支出が止まるので、むしろデフレ傾向になると発言しているのだ。ところが、実際には凄まじいインフレになり、多くの人が財産を失い、闇市でないとモノが買えないといった状況になった。平穏に続いていた暮らしが、突然、容赦なく混乱することがあるというのが、歴史の教訓だ。

  そして、戦争による生産施設の破壊や、賠償金の支払いなどがあったので一概に比較することはもちろんできないが、現在の日本の債務残高の対名目GDP費は、戦前の水準を上回っているのである。その日本で、財政の状況についてどんな議論が交わされているかは、ご存じのとおりだ。そう考えると、ギリシャの状況も、人ごとだと言っていられる状況ではない。今の日本で、ハイパーインフレが来たらどうなるかを、真剣にイメージしている人が、一体どれくらいいるのだろうか。