生活保護を巡る議論について思うこと

 生活保護の受給者が過去最多を更新し続けていることもあり、最近、生活保護を巡る報道を目にすることが多い。こうした報道やその中での議論について、少し気になるところがあるので書いてみたい。

  生活保護を巡る最近の報道で多いパターンとしては、まず、生活保護の制度や受給者が過去最大であることなどを報道した上で、生活保護受給者の「実態」として、不正受給(あるいはグレーゾーン)の手口が具体的に紹介される。最後に、コメンテーターが、「不正受給への対処が甘いのではないか」といったような「辛口」のコメントをする、というものだ。

 こうした報道を見るにつけ、私は、「日本人は、働かない人に対して本当に厳しいな」という感想を抱いてしまう。「働かざる者食うべからず」ということわざがあるが、こうした考え方は、まだ非常に根強く残っていると思う。
  もちろん、不正受給は許されないし、正当な受給者が疑いの目で見られないためにも、不正に対しては厳正に対処しなければならないのは当然だ。しかし、だからといって、正当な受給者までもが、社会からの落伍者のような目で見られるというのは、いかがなものか。このブログでも、以前、何度か書いているように、私は、生活保護制度であっても、れっきとした社会契約に基づくものであり、正当な受給者であれば、胸を張って堂々と受給できるようにすべき、と考えている。生活保護制度は、憲法で定められた最低限度の生活を保障するための制度であり、自立を助長するための制度であるはずだ。それなのに、社会からの落伍者というレッテルを貼られ、卑屈にならなければ、保護を受けられないというのでは、本末転倒ではないか。

 保護を受けるために、誇りを失わなければならないとすれば、あえて保護を受けないという選択をする人たちがいて当然だ。日本の生活保護のいわゆる捕捉率(生活保護受給世帯数/生活保護基準未満の世帯数)は、所得のみを考慮した場合には15%〜30%、資産も考慮した場合は32%〜87%と大きくバラついているが、これがイギリスでは87%、ドイツは85%〜90%であるという情報もある(日本の推計は厚生労働省。イギリス、ドイツについてはWikipediaより。同サイトでは朝日新聞が2009年11月19日の朝刊で記載とあるが、原典未確認。)。この推計をした厚生労働省の資料では、留意点として、「生活保護は申請に基づく開始を原則としており、「生活保護基準未満の低所得世帯数」が、申請の意思がありながら生活保護の受給から漏れている要保護世帯(いわゆる漏給)の数を表すものではない。」とご丁寧に書いてある。これでは、「申請に来ない人は、行政の責任ではない」というようにも読めるが、誇りを失うのが嫌だからあえて申請しない、という人たちのことをどう考えているのか。この捕捉率こそ問題にすべき数字ではないのか。そもそも、日本の数字の幅が大きすぎるのは、いわゆる捕捉率について問題意識を持っていないということのあらわれではないのか。

  私は、これまで生活保護制度を直接担当したことはないし、現場の実態も2週間ほど研修で体験しただけである。だから、よく知らないのに批判をするのもどうかと思って、これまでこのテーマについては書くのを控えてきた。けれど今回実際にこのブログを書いてみて、やはり、素人考えながら書いてみて良かったと思った。でも、専門家から見れば、私の意見は、相当ピントがずれている可能性もある。皆さんのご意見・ご批判をお待ちしています。

(参考)
「捕捉率」に関する厚生労働省の資料:
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2010/04/dl/s0409-2d.pdf
生活保護について書いた過去の私のブログ:
http://d.hatena.ne.jp/sadaosan/20110813/1313231250