もし宝くじで100億円当たったら

 年末に立川談志の特番があり、十八番の「芝浜」という落語をやっていた。飲んだくれの亭主が大金を拾ってくるが、それを受け取った女房は、こんな大金があっては人間がダメになると思い、夢だと亭主に言い聞かせる。それを機に亭主は心を入れ替えてまじめに働くようになり、やがて成功する。そこで、女房が、実は大金を拾ったのは夢ではなくて現実だったと打ち明けるのだが、、、という筋書きである。
  落語なのに全く笑うところがないという不思議な話だが、それはともかく、現代の世で、もし、宝くじで100億円当たったらどうするか。一生遊んで暮らせるお金が手に入ったら、果たして今の仕事を続けるのかどうか。ビルゲイツのように、年収5000億円でも働いている人はいるが、突然100億円ももらったら、今の仕事がばからしく感じるかもしれない。しかし一方で、「芝浜」の女房ではないが、急に大金が入って、仕事もやめて遊び呆けているのでは、人間がダメになるかもしれない。

 100億円当たったときに仕事を続けるかどうかを問うことは、働くことの意味を問うことだ。働くことは、もちろん、生活の糧を得る以外にも価値がある。人間は働くことを通じて社会とのつながりを持つことができるし、社会に価値を生み出し、また自分の存在が認められているという実感を持つこともできる。それはそのとおりだが、働くことは同時にしんどいことだ。新聞や雑誌で取りあげられるサクセスストーリーに登場する人たちは、一様に、「今は仕事が楽しくて仕方ありません」といった態であるが、仕事をしていれば決して楽しいことばかりではあるまい。働かなくても食うに困らない、となったとき、今日は会社に行くのが面倒臭いな、という気分に勝つだけの魅力が果たして仕事にあるのか。

  自分だったらどうするか。とりあえず、今の仕事を続けるような気もする。今の職場も悪くはないし、今の仕事以上に、自分の能力を活かせる職場もすぐには見つかりそうにない。もしそういう職場が見つかったら?転職するかもしれない。じゃあもし今そういう職場があったら?分からない。100億円でファンドを設立?でも何のために?お金は十分あるんだから、今すぐ仕事を辞めて遊んで暮らすべき?でも何をする?遊んで暮らしていたら死ぬときに後悔するのでは?いや、むしろ遊ばなかった方が後悔するかも。―――社会人になってから、ときどきふと考えることがあるが、いつ考えても答えを出すのは難しい。

 よく言われることではあるが、日本人は、勤労を美徳とする意識がいまだに根強いと思う。「芝浜」が美談として捉えられているのも、そのあらわれだろうし、100億円当たったんだからすぐに仕事を辞めて遊んで暮らそう、という考えに若干の後ろめたさを感じるのも、そのせいかもしれない。「働かざる者食うべからず」信仰は、まだまだ生き残っているのではないか。ヨーロッパ諸国では、仕事は仕事、プライベートはプライベート、と割り切って考える人が多いと聞くが、もし100億円当たったらどうするか、聞いてみたいものだ。