負担増に見合った給付

 先日、「税と社会保障の一体改革」の厚生労働省案が公表された。見直しの対象は、医療、年金、介護、福祉、就労支援と多岐にわたっている。もっとも、個別に内容を見ていくと、「引き続き検討」という項目が多く、今後、関係者や与党との調整が本格化していくことが想定される。

  テレビや新聞でも大きく取りあげられたが、その中で気になったことがある。それは、「負担増に見合った給付の充実が必要」という考え方が基底にあるのではないか、という点だ。「そんなこと当たり前だろう」と思ったアナタ、もう少し考えてみてほしい。現在、国の借金以外の収入は約48兆円、一方で借金返済以外の支出は約71兆円となっており、借金のやりとりを除いても、毎年約23兆円の赤字になっている。これは国全体の数字なので社会保障だけの数字ではないが、上に書いた支出の71兆円のうち、地方交付税等として地方に回すお金が約17兆円あるので、実質的に国が使えるお金は約54兆円だ。このうち、社会保障関係費は約29兆円となっているから、国が実質的に使えるお金の半分以上は社会保障の費用に使われているということになる。そして、今後、高齢化の一層の進展に伴い、社会保障の費用はますます増大することが見込まれている。
  一方で、消費税を1%上げると、おおざっぱに言って国・地方の合計で約2.5兆円税収が増えるとされている。そうすると、毎年の赤字である23兆円を返すだけでも、(税収増が全て国に入るとしても)単純計算で10%近く消費税を上げないといけない、ということになる(もちろん、景気の良し悪しで税収は動くのであくまで単純計算。)。

 つまり、給付を充実するどころか、現在の給付内容を維持するだけでも大幅な負担増が必要という状況なのである。負担だけ増えます、という説明では理解を得られないので、給付増もセットで説明するというのは分かるが、そこに重点を置きすぎるとおかしな議論になるような気がする。しかも、給付増として挙げられている項目の中には、市町村など保険者への支援の充実や、低所得者の保険料の軽減など、個人単位では直接メリットを感じにくいものも多く、「負担をすれば私たちの生活は良くなるのか?」という問いに答えられていない感じがする。

  私はむしろ、国民の多くが不満に感じているのは、例えば、久しぶりに病院に行ったら老人でごった返していて全然見てもらえないとか、年金をまじめに納めているのに将来いくらもらえるか分からないとか、そういった給付増とは直接関係しない、制度の使い勝手(インターフェイス)に関する部分が大きいのではないかと思う。私の妻はアメリカで出産したが、クリニックは完全予約制でほとんど待たないし、助産婦さんは親切で時間をかけて説明をしてくれるし、必要な薬はスーパーで買い物と一緒に買えるしと、特にインターフェースという点では日本より優れている面がたくさんあった。

 問題は、こうした医療の現場を良くするための政策手段が、限られているということだ。保険制度であれば、負担を3割にするとか、診療報酬をいくらにするとか、国が決めればすぐに実行できる。ところが、医療の現場は民間ベースなので、その行動を直接変えることは難しい。もちろん、規制とか診療報酬とかで、ある程度誘導することは可能だし、これまでもそうした努力はしているが、どうしても即効性に欠ける面がある。イギリスやスウェーデンなどと異なり、医療提供の中心が「私」である点が日本の特徴の一つ(イギリスやスウェーデンは医療従事者は基本的に公務員)であるが、そのことが医療サービスの改革を難しくしている面がある。また、アメリカは「私」中心の医療提供体制であるが、国民皆保険の下で公平・平等指向の強い日本では、アメリカのように市場原理を活用した改革手法には抵抗が強い。国の政策だけで何とかしようとするのではなく、地方・民間セクターやNPOとの連携など、さまざまな手法を用いることが必要だと思う。

  かつて小泉総理は、増税について次のように述べたことがある。
 「歳出削減をどんどん切り詰めていけば、やめてほしいという声が出てくる。増税してもいいから必要な施策をやってくれという状況になってくるまで、歳出を徹底的にカットしなくてはいけない。そうすると消費税の増税幅も小さくなってくる。 これから、歳出削減というのは楽なものではないというのがわかってくる。今はまだわかっていない。歳出削減の方が楽だと思っている。いずれ、歳出削減を徹底していくと、もう増税の方がいいという議論になってくる。」(2006年6月22日開催経済財政諮問会議
  ―――今の状況はどうであろうか。「増税してもいいから必要な施策をやってくれ」、「もう増税のほうがいい」、という状況までには至っていないような気もする。

(参考)
「日本の医療 制度と政策」(島崎謙治著、東京大学出版会