わくわくすること

  最近、わくわくすることが少なくなった気がする。夏の人事異動で就いた今の仕事が、完全な調整役のポストで、(そういう仕事も誰かがやらなければならないから仕方ないにしても)達成感に乏しいということが最大の原因だと思う。わくわくが少なくなると目がどんよりとして元気がなくなってくる。それに比べて、子どもの何と目がきらきらしていることか。子どもから学ぶことは本当に多いが、子どもが毎日好奇心いっぱいで過ごしているのを見ると、わくわくすることの素晴らしさを思い出す。

 「わくわくする」というのは、なかなか素敵な表現だと思う。ワク=湧くで、「わくわく」というのは、何か泉から水がこんこんと湧き出しているようなイメージがある。興味が湧く、という表現があるが、尽きることなく湧き出てくる好奇心、という感じがする。この「こんこん」もそうだが、日本語にオノマトペ擬声語、擬態語)が多いのは、日本人の言語感覚の豊かさや繊細さを表していると思う。「わくわく」は、英語で言うとexcitedだろうか。excitedだと、「わくわく」よりも「どきどき」という感じだろうか。「どきどき」は心臓の鼓動の擬音語だが、「わくわく」は、もうちょっと未知のものに対する期待や驚きというものを表しているような気がする。英語ではsense of wonderという表現があるが、そのニュアンスに近いかもしれない。

  子どもにとっては、この世界は知らないことだらけで、毎日毎日、新しいことを発見する驚きと喜びに満ちている。子どもを見ていると、例えば新しいおもちゃを買ったとか、明日は放課後子ども教室があるとか、大人からすれば何でもないことにわくわくし、思った通りにならないといってがっかりしている。その繰り返しである。がっかりするというのは、わくわくすることの裏返しでもある。大人があまりわくわくしないのは、知らないことでも大体こんなものだろうという相場観ができてしまっていて、新鮮な驚きという期待があまり持てないからだろう。あるいは、がっかりしたくないから、そもそもあまりわくわくしないという意識も働いているかもしれない。

 それでもやっぱりわくわくしないのはつまらない。学生時代に学んだことの一つは、Open mindという考え方だ。自分の考え方や心のあり方を固めずに、虚心坦懐に、新しい考え方や変化を感じる。頭が固くなるのは、変化を恐れるからというよりも、今までとやり方を変えることが単に面倒だということに過ぎないのではないか。新しい考え方への新鮮な驚き、そこに「わくわく」があり、成長の可能性がある。論語にも、「これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。」とある。人はわくわくするときに非常に大きな力が出る。今の自分の仕事があまりわくわくしないのは如何ともしがたいが、せめて、わくわくすることの大切さを忘れないようにしたい。