1000年に一度の星空

  中学生か高校生のときだったか、こんな文章を読んだことがある。
 「もし星空が1000年に一度しか現れなかったら、みんな有り難がって見るだろう。でも、星空は毎日現れるから、みんな空を見上げることはない。それなら、せっかくの美しい星空も、存在していないのと同じだ。」
  ずいぶん前に読んだはずだが、この前ふとこの文章を思い出した。考えてみると、忙しすぎて、星空どころか、その日の天気さえも覚えていない、という時期もあった。

 最近は、以前に比べて星が見えなくなったような気がする。実家は川崎なのでそんなに田舎でもないが、僕が子どものころは、毎日星が出ていた覚えがある。そのころよりも、空気が汚くなっているとはあまり思えないが、空が明るくなったためだろうか。夜、皇居ランをしていて空を見ても、街の灯が反射しているのか、全体的に明るくて、星はまったく見えない。

  僕が秘書官としてお仕えしていた方は、自然を愛でる心が大変強い方だった。役所から国会へ移動する車中でも、つつじがきれいだね、とか、木々がいっせいに芽吹いているね、とか、季節や天気の話から雑談が始まった。次の予定で頭がいっぱいの自分と違って、やっぱり心に余裕があるなあ、と、いつも感じていた。
 特に覚えているのは、震災が起きて、みんな一生懸命に対応していたものの、被害はあまりに大きく、心が挫けそうになっていた今年の春のことだ。車中から桜が咲いているのを見て、その方は、私に向かって、「○○さん、どんなにつらくても、春は必ず来るんだよ。がんばろう。」とおっしゃった。何気ない一言であったが、正直胸が熱くなった。その方の心の強さを見た思いがした。花鳥風月を愛する心は、その人の強さにつながると思う。

  思えば、秘書官をしていたころは、朝がとても早かったので、日の出の遅い冬には、まだ真っ暗な中、駅まで自転車を漕いだ。真冬の早朝に自転車に乗るのは凍える寒さだが、凛とした空気で、月や星がとてもきれいだった。月がちょうど駅の方角に出ていて、しんと静まって誰もいない道を自転車に乗っていくのは、月に向かってペダルを漕いでいくような気がしてとても気持ちが良かった。
 これから冬になれば、空気も澄んで、星が少しは見えるようになるかもしれない。上を向いて歩こう