政と官②

  前回は、政と官それぞれの得意分野、不得意分野について検討した。今回は、具体例を挙げつつ、役割分担のあり方についてさらに考えていきたい。

  具体例として、東日本大震災への対応を挙げたい。
  東日本大震災の発災後、役所は文字通り夜を徹して対応に当たった。震災対応の是非については、また別の機会に論じたいが、全体としては、その時点としては精一杯の対応をしていたと思う(逆に言えば、大規模な震災を想定した準備が不足していたことが一番の問題だったと思う。)。
  その際、役所が参考にしたのは阪神大震災における対応だ。各種の緊急対応や、特例措置など、過去の例を踏まえて比較的スピード感をもってラインナップが揃ったと思っている。救急医療から始まって、食料品、子どものケア、避難所への対応、そして雇用など、広範にわたるさまざまな措置を速やかに打ち出すことができたのは、歴史のある組織としての力であろう。
  ただし、今回の震災は阪神大震災とは大きく異なる点がいくつもあった。津波により、町ごと無くなってしまったような地域が数多くあったこともその一つだ。もちろん、そのような違いは認識されていたが、どうしても前例に頼るという、役所の体質が残る場面があった。例えば、各種の補助は、市町村が県に申請し、県がそれを国に申請し、国の認可を得て補助をする、という仕組みになっているものが多い。国としては、ニーズが分からないのにやみくもに補助することもできないから、そうした仕組みも原則論としては正しい面はある。ところが、今回は、何しろ町ごと流されていたり、あるいは役場は残っていても町の職員が他の業務に忙殺されていたりして、そもそも申請が県に上がってこない状況だった。国としては、「前例にとらわれず」、申請が来れば即認可する体制で準備していたが、それは力を入れるポイントがずれていると言わざるを得ない。震災の対応については、毎日夕刻に、大臣、副大臣政務官の政務三役が集まって、その場で意志決定を行っており、私も秘書官としてその場に同席したが、政務三役から、何度も、そのような「待ち」の姿勢ではダメだ、もっと実態をきちんと確認しろ、という指示が飛んだ。中には、「現地から申請がないから、ニーズがない」と言い切る部局もあり、本当に大丈夫か、と首をかしげたくなることもあった。
  この例は、「制度の側から人を見る」という官の体質がよく現れていると思う。もちろん、あらゆる補助の元は税金であり、制度がある以上、無秩序に支援するというわけにはいかない。だが、被災地と霞ヶ関の温度差があまりに大きい。何のための補助か、何のための制度か、ということが、頭では分かっていても、平常時に制度を運営している中で生まれた「体質」がふとした場面で顔を出し、「制度上はこうなっています」という説明で終わってしまう。

  一方で、政の方では、例えば被災者からの声が直接届いたり、市長などと直接電話で話したりして、現場の一次情報が入っていた。それによって、さまざまな要望が上がってきたが、その中には、実は、制度上は既に対応済みというものが多くあった。つまり、制度は震災に対応して変わっていても、それが何らかの理由で現場まで届いていないということが頻発した。国から都道府県へ、そして都道府県から市町村へ、と情報がうまく届いていない場合もあれば、被災地の方が制度を変わったことを知らないということもあった。私も何か所か被災地を訪れたが、実際、現場は混乱の極みで、役場の職員は自分自身も被災しながら職務に当たり、一方で避難所は安否情報から行政情報、地域のお知らせなど雑多な情報が、掲示板にところ狭しと貼られているような状態だった。こうした場合には、どこが詰まっているのかを確認し、一つ一つ解決していくことで、少しずつではあるが対応が進んでいった。
  また、要望の中には、当然、うちの役所の所掌でない事項も多く含まれていた。こうした場合には、事務方同士で調整をする場合もあれば、政務三役同士が直接電話で話して対応策を決める場合もあった。非常事態とはいえ、役所をまたがるような問題が、これほど早く対応されたのは、率直に言って事務レベルではなかなか難しいと感じた。

  以上の例は、震災といういわば非常時の例なので、通常の政策立案・実施のプロセスとは異なる部分もあると思うが、官の専門性の高さ、組織としての力の強さ、という利点と、政の現場感、スピード感、縦割りでなく人から政策を発想する視点、という特徴が顕著に表れていると思う。
  政と官の議論は、とかく神学論的になったり、感情論的になったりしがちであるが、それぞれの強み・弱みを踏まえて、冷静に議論することが必要だろう。現場に身を置くものとして、これからも情報発信していきたい。