厚生労働省分割論

 少し前になるが、舛添大臣のころ、厚生労働省を分割すべきではないか、という議論が出たことがあった。当時の舛添大臣がどの程度本気であったのかは分からないが、厚生労働省は大きすぎるので、年金部分と、労働部分と、医療などの残りの部分の三つに分けるべきだ、というのが舛添大臣のご主張だった。
  その後政権交代があったりして、この話は結局うやむやになったが、当時は、大臣が突然発言したこともあり、厚生労働省内ではちょっとした議論が巻き起こった。きちんとしたアンケートをとったわけではないが、多くは、平成12年に厚生省と労働省が一緒になって、せっかく意識面でも統合が進んできたのに、今さら急に分割なんて、、、という意見だったように思う。

 確かに、役所の中にいると、厚生省と労働省を統合したメリットが出てきていると感じる。生活保護受給者の就労支援とか、女性の就労支援のための保育所整備とか、二つの行政分野が重なる領域は結構ある。そのときに、お互いが知った人間であれば、連携が取りやすいのは当然だ。相手が知り合いであろうがあるまいが、連携すべき場合にはしっかり連絡を取るべきだ、というのは建前だが、電話一本でツーカーの話ができるのはやはり大きい。実務ベースで考えれば、役所の所管が広くするメリットは、実際にはかなり大きいと思う。

  一方で、役所が大きくなることのデメリットもある。それは、大臣によるコントロールが難しくなるという点だ。今まで、何人もの大臣に接してきたが、ほとんどの場合、就任後半年もすると疲労がたまり、呂律がまわらなかったり、ぼうっとしたりしているところをお見かけするようになる。もちろん、常にそういう状態ではないが、少なくとも、処理すべき案件が多すぎて、一つ一つの案件にじっくり腰を据えて取り組むという状況ではない。副大臣政務官といった他の政治家との分担もしているものの、やはり最後は大臣にご判断を仰ぐことも多く、一人の大臣がすべてを掌握するのは率直に言ってほとんど不可能だと思う。

 このメリット、デメリットをどう考えるかは、実は、政治による行政のコントロールをどこまで求めるのか、という基本的な問いに関わってくる。行政の連携に多少手間がかかっても、政治家がきちんとチェックすべきだ、という考え方もありうるし、逆に、政治は大きな方向性を示せばよいのだから、行政の連携が取りやすい方を優先すべきだ、という考え方もあるだろう。そしてこの問いは、政と官の役割をどう考えるのか、という次の問いにつながる。(つづく)