安全意識の低下

  最近、安全意識の低下を感じさせる事件が相次いでいる。石川県では、誕生日を迎える夫婦が、自ら掘った深さ2.5メートルの落とし穴に落ちて窒息死した。天竜川の川下りのボート転覆事故では、多くの乗客がライフジャケットを着用していなかったという。また、少し前になるが、適切な生肉処理を行わなかったユッケで食中毒が起き、4人が死亡するという事件もあった。
 いずれの事件も、少し考えてみれば、危ないと分かるようなものばかりだ。もちろんボート事故や食中毒は、業者に責任がある。ただ、例えば食中毒であれば、ちょっと年配の人に聞くと、「自分が子どもの頃は、生肉なんて食べなかった。今でも、体調が悪い時は食べないし、食べるときも、お店の人に良い生肉があるか聞いてからにする。ましてや小さい子どもには食べさせない」という人が多いのではないだろうか。砂に埋まったら危ない、川に落ちたら危ない、生肉は危ない、という意識が、薄くなっているのではないか。

  先日、労働災害をなくすための方策を検討する会議があり、大学の先生や、企業の労務担当の方からご意見を聞く機会があった。それによると、最近、若者の安全意識が低下しており、入職してすぐの期間に労働災害が起きる割合が高くなっているという。そして、そうした若者に安全教育をすることが、企業にとってコストとなっているということだった。また、ガソリンと灯油を区別せず、たき火にガソリンを直接くべてしまい、引火して事故になったという話もあり、学校教育でもっと安全について教えるべきだ、といった提案もあった。

  若者の安全意識が低下したのは、社会が安全になったことの裏返しでもある。私が幼い頃にはまだかろうじて残っていた小川は、造成されて暗渠となった。私がしがみついていた崖は、とっくにマンションになっている。家庭でも、鉛筆を削るナイフは安全装置のついた電動鉛筆削りになり、台所でマッチを擦ることはほとんどなくなった。最近では、指の切れないハサミといったものも売られている。危険を身近に感じることなく育った若者に、安全意識を持てと言っても無理というものであろう。
  一方で、やはり子どもを危険には近づけたくないというのも親心で、かくいう私も、子どもがガスレンジに近寄ろうものなら「危ない」といって叱りつけるし、ハサミの類は子どもの手が届かないところに置いてある。幼稚園や保育園でも、子どもが怪我をすれば大問題になりかねないから、どうしても安全優先になってしまうのだろう。スウェーデンの保育園では、子ども用の大工道具が置いてあって、小さい頃からそれらを使って遊ぶことで、危険を学ぶということをTVで言っている人がいたが、今の日本の雰囲気では、そういったことはなかなか難しそうだ。

  そう考えていくと、安全意識の低下による事故を防ぐためには、今後、2つのことが重要になってくると思う。一つは、学校教育における安全教育の強化だ。実体験で「危ない」と感じたことは、意外と長く記憶に残っている。地元企業や行政とも連携して、たき火にガソリンを入れたらどうなるかとか、木材をのこぎりで切る実習とか、そういった機会があると良いのではないだろうか。そしてもう一つは、専門家による意識喚起だ。今回の天竜川の事故では、救命胴衣について、船頭が「暑いので下に置いておいて」と言ったという報道があるが、それが事実だとすれば言語道断である。一般人の安全意識が低下しているからこそ、それぞれの分野に精通した専門家が、危険を知悉し、それを分かりやすく一般の人に伝える必要がある。「安全」はそれを失ったときに初めてその大切さに気づく。皆がその大切さを理解し、維持していく努力が必要だと思う。