公務員に求められるもの

  先月末、国家Ⅰ種の官庁訪問が行われた。私も、臨時面接官として、業務の合間をぬって10人余りの学生と面接した。真剣な眼差しで質問に答えてくる学生と話していると、自分が官庁訪問をしていたときのことを思い出す。初心忘るべからず、というが、自分自身が公務員を志したときの思いを再確認し、元気をもらえる。
 面接の際、私は、最後にいつも「公務員に求められるものは何だと思いますか」という質問をすることにしていた。その答えは人それぞれで、「誠実さ」、「バランス感覚」、「公僕としてのサービス意識」、「決断力」といった答えが返ってきた。もちろん正解はないが、その答えにはその人の公務員観が色濃く反映されていると思う。
  もし、私がその質問をされたら、今の私の答えは、「熱意」である。やや意外な回答に思えるかもしれない。実を言えば私自身、入省時には考えつかなかった回答だ。だが、最近になって私がそう考えるようになったのは、2年前に携わった育児・介護休業法の改正が影響している。

 法律改正には、凄まじい労力が必要だ。現行制度は先人たちの叡智の結晶であり、その時点で合意された到達点である。だからこそ、それを少しでも変えようとすれば、必ず「抵抗勢力」が生まれる。見方を変えれば、みんなが賛成しているのであればとっくに実現しているのであって、現在そうなっていないということは、誰かが反対しているということだ。そうした反対を一つ一つ説得し、着地点を探しながら、合意に向けて粘り強い調整をする。そうやって関係者の合意が取れたら、それを法律の形にして、既存の制度と齟齬が生じないか、異なる解釈が生じないかなど、徹底的にチェックする。そこまで来てやっと法案を国会に提出することができる。その後は、政治の世界だ。与野党がうまく合意できて成立することもあれば、まったく別の理由で審議すらされないこともある。何とか無事に成立したら、次は施行の準備だ。改正法が施行されるまでの間に、パンフレットや説明会などで周知し、同時に法律改正に伴う政令・省令・告示などの下位法令を改正する。

  私が担当した育児・介護休業法の改正の場合、法律改正の検討を始めてから、改正法が施行されるまで、実に3年以上を要している。それでも、国会日程の都合もあり、最後はかなり急ピッチで作業が進んだ。このため、さまざまな業務が集中し、立ち上がって指示をする者、資料を持って走り出ていく者、一心不乱にパソコンで資料を作る者など、職場はまさに修羅場であった(実を言えば私も、自分では気づかなかったが、パソコンに向かってぶつぶつつぶやいたり、夜中うなされたりと、かなり追い込まれていたようだ。)。そして、この改正を実質的に主導したのが、当時私の上司であったJ課長だった。
 J課長(当時)は、仕事と子育ての両立分野ではかなりの有名人で、本人から聞いたところによると、希望の異動先について、(昇進せずに)ずっと今の課長がいい、と答えたという猛者である。私が両立関係のイベントやセミナーで所属を言うと、必ず相手は、「ああ、Jさんのところね。」といった反応で、私は、いつまでたっても「Jさんの部下の若い人」としか記憶されていないのではないか、と心配になるほどだった。
  それはともかく、J課長の仕事と子育ての両立分野にかける熱意はすさまじく、私を含めた課員はその熱意に引っ張られて過酷なスケジュールを乗り切ることができた。ねじれ国会の中で、改正法が無事に成立したのも、その内容が時代のニーズに沿っていたことはもちろんであるが、J課長の熱意が関係者に伝わったことも大きいと思っている。

 そこで私が思ったことは、自分が課長になったとき、果たしてJ課長が持っていたほどの熱意を持つことができるだろうか、ということであった。熱意を持つためには、それが正しいという信念・確信が必要だ。ところが、何が正しいのかというのは、それほど答えるのが容易な問いではない。行政をやればやるほど、物事のさまざまな面が見えてきて、それぞれの主張にも一理あるということが分かってくる。大事な問題ほど意見が対立し、すべての問題はどこかで繋がっている。上にも記したように、誰もが賛成するのであれば既にそうなっているのであって、何かを変えようと思えば、必ず反対があり、そしてその反対にも一理あるということが多い。自分の信念は、単なる思い込みではないのか、という内なる批判に常にさらされる中で、確固たる信念を持ち、それに基づいた熱意を持ち続けることは容易ではない。
  ではどうすればいいのか。
 私が見るところ、J課長は、これまで培った行政経験、自身の子育て経験や、幅広い人脈を活かしてたくさんの現場からの意見を聞き、確信を持つに至ったのではないかと思う。別の先輩は、こんなことを言っている。

  ―――「現場には真実がある。だが同時に、現場は往々にして嘘をつくことがある。」これは、多くの行政官の実感である。現場の何が真実で何が真実でないか。個別の事象の奥にある問題の本質は何か。それを読み取る力、表面的な事象に惑わされずその奥にある真の実態を見極める力、それこそが「実態把握能力」なのであり、その能力はどれだけ多くの現場と接したかという「経験」から生まれる「人や社会に対する想像力」、相矛盾する様々な事象を分析・理解しそこから解を導く「専門知」、そして人間としての「感性」を磨くことでしか獲得することはできない。―――

  思い込みではない確信を持つこと、そしてそれに基づいた熱意を持ち続けること―――果たして、自分にできるだろうか。