日本の統治機構の特徴〜参議院不要論に思う〜①

「第二院は何の役に立つのか、もしそれが第一院に一致するならば、無用であり、もしそれに反対するならば、有害である」
   ―――フランス革命の指導者 アベ・シェイエスのことば
 
  参議院不要論を目にすることが多い。特に政権交代後、衆議院参議院の多数政党が異なるいわゆる「ねじれ国会」となり、参議院の影響力が強まってから、こうした不要論が顕著になってきたように感じる。参議院には解散がないことや、任期が6年と長いことなど、いろいろと議論はあるが、つきつめれば、参議院があることで、意思決定のスピードが遅くなるということが一番の批判のポイントではないかと思う。

  確かに、参議院があることで、法律を制定する(又は改正する)ために余分に時間がかかるのは事実だ。委員会形式を取る我が国では、まず所管の委員会(厚生労働委員会国土交通委員会など)で質疑・採決をしたあと、本会議でもう一度採決をするため、通常は最低でも1週間、大きい法律であれば1か月近く時間がかかる。さらに、国会には会期があるので、衆議院で成立しても、参議院で時間切れ(採決に至らないうちに国会の会期が来てしまう)になれば法律は成立せず、この場合は、最低でも次の国会が開かれるまで遅れる(つまり半年以上遅れる)ことになる。ましてや、ねじれ国会ともなれば、与野党で合意した法案しか基本的に成立しないから、思い切った案はどうしても出にくくなる。また、政局マターとなるような法案(子ども手当など)は、成立のメドが立たなくなり、国民生活に混乱が生じるおそれがあるのは、まさに今の状態が示しているとおりである。

  冒頭の一節は、こうした状況を端的に表現したものであり、参議院不要論を唱える人たちの批判も、同様の趣旨ではないかと思う。だが、私自身は、今のところ、参議院がただちに無用であるとは思っていない。それは、参議院が、我が国の統治機構を貫く根底的な思想――保守の思想――の典型的な表れであると思うからだ。
  戦後日本の統治機構は、できるだけ慎重な意思決定がなされるように、言い換えれば急進的な改革がしにくいように、設計されていると思う。憲法の改正には、両院それぞれで議員の2/3の賛成と、国民投票過半数の賛成が必要だ。議員内閣制であり、閣議は全会一致の慣例となっているため、関係大臣が全員賛成しなければ意思決定ができない(総理大臣は反対する大臣を罷免することはできるが、そんなことをすれば大問題になるので事実上行使できない。)。そして参議院は、任期6年、解散なしという仕組みなので、いったん決まった多数派は、基本的に6年間続くことになる(3年ごとに半数が改選されるという仕組みは、これを緩和する工夫である。)。こうした仕組みにより、いっときの勢いだけでは変革を行うことは難しく、少し長い目でみた合意(安定的な合意)が必要になっている。

  なぜ、こうした保守的な(慎重な)思想のもとに、我が国の統治機構が設計されているのか。そこには、国の仕組みは、いっときの勢いだけで急に変えると危ない、という、先人の知恵が表れているのではないかと思う。少し長くなったので、次回は、国の制度と民間サービスとの違いなどを考察しつつ、国の意思決定プロセスが保守的な思想の下に設計されている理由について、さらに考えていきたい。(次回に続く)