卒啄の機

卒啄の機(そったくのき。「卒」は、正確には口偏に卒。)という言葉がある。雛が卵から孵るには、雛が孵ろうとして中から卵をつつく、まさにそのタイミングで、母鳥が外から卵をつつき、殻を割ってやる必要があるという。「卒」とは雛が内側から卵をつつくことを、また、「啄」とは母鳥が外側から卵をつつくことをいい、これがぴったりあったタイミングを「卒啄の機」という。すなわち、早すぎず遅すぎず、まさにこの時、というタイミングを指す。私はこの言葉を、高校生の時に外山滋比古著「知的創造のヒント」という本で知ったが、もう20年近くも経つのに未だによく覚えている。

このことを私がいつも感じるのは、読書をするときだ。本を読んでいると、まさに自分の問題意識にぴったりで、書いてあることが吸い込まれるように頭に入ってくることがある。反対に、立派なことが書いてあるなあと思いつつ、読み終わってみると何一つ頭に残っていないこともある。これは、本の側でなく読み手の側の問題で、いかに立派なことが書いてあっても、読み手の側に準備ができていないと、書いてあることの素晴らしさが分からない。冒頭の例でいえば、せっかく外からいい刺激が来ていても、中からつつくことができなければ、殻は破れないのである。

友人の何気ない一言が、自分にとって大きな意味を持つことがある。友人から影響を受けるタイミングというのは、深刻な面持ちで相談しているときよりも、何気ない会話の中で起こることが多いような気がする。人が恋に落ちるのも、そういう何気ない瞬間かもしれない。私が結婚を決意したのは、ある友人の一言がきっかけだったが、後日、その友人に確認してみたところ、本人はその発言を覚えていなかった。してみると、自分も、何気ない一言で、他人に大きな影響を与えたことがあるのかもしれない。人との出会いにも、「卒啄の機」というものがあるのかな、と思う。

論語に、「学んで思わざれば則ち罔(くら)し、思うて学ばざれば則ち殆(あやう)し」(学ぶだけで自分の頭で考えなければ良く分からないし、自分の頭で考えているだけで学ばなければ危険である)という言葉がある。これも、内なる刺激(「思う」)と外からの刺激(「学ぶ」)の両方の必要性を説いたものと思う。繰り返しになるが、「卒啄の機」を迎えるには、内側からつつく力と、外側からつついてもらう助けの両方が必要だ。忙しい毎日の中でも、自分の頭で考える努力を怠らず、一冊の本との出会いや、人との出会いを大切にして、自分の「殻」を破る機会を逃さずとらえていきたい。