職業倫理(プロ意識)

最近、「お前らそれでもプロか!」と言いたくなることが多い。単に自分が歳を取っただけなのか。道案内を平気で頼んでくるタクシー運転手、サービス精神の全くない店員、あるいは最近の食中毒事件や産地偽装問題、さらには少し前になるが、不二家が消費期限の切れた牛乳を使っていたことなど、プロとして恥ずかしい事件が頻発している。今回の原発事故についても、私は東京電力だけに責任があるとは思わないが(むしろ全て東京電力のせいにしようとする風潮に異議を唱えるものであるが)、長年原発を運営していた専門家として、今回のような事態を想定できなかった東京電力の責任はやはり大きいと思う。

表題に記した職業倫理とは、専門家(プロフェッショナル)として、職責を全うするために持つべき倫理(行動規範)であると考えている。倫理というと、不祥事のたびに持ち出されるので、何かマイナスのイメージが強いかもしれないが、本来は、もう少しポジティブなもの、平たく言うと「プロ意識」ということではないかと思う。自分の仕事に誇りを持ち、安易な妥協を許さない、そういうプロ意識が末端の労働者まで浸透していたことが、これまで、日本の高い技術力と品質を支えてきたと思う。

思えばもう10年以上前になるが、公務員の初任研修で、「公務員の倫理」という授業があった。ちょうど、ノーパンしゃぶしゃぶや岡光事件など、公務員の倫理が厳しく問われていた頃だ。詳しい内容は覚えていないが、国家公務員は、他の人よりも一段高い倫理が必要だ、という内容だったと思う。最初は、なぜ公務員の倫理だけ高くなるのか、そういう倫理はどんな職業でも共通ではないのか、と納得できなかった。しかし最近になって、専門家は、少なくとも自分の専門に関連した分野について、他の人たちよりも高い倫理が求められる、ということを感じるようになった。ノブレス・オブリージュ(高貴なるものは義務を負う)という言葉があるが、私は、人よりも卓越している知識や能力を持っている者は、それをフェアに活用する倫理的な義務があると思っている。

冒頭記したように、最近、職業倫理の低下を意識させる事件が相次いでいる。だが一方で、個人の高い職業倫理によって、厳しい状況が何とか持ちこたえている場面もある。医師の献身的な努力により支えられている地域医療がある。福島第一原発では、「自分たちがやらなくて誰がやる」という強い思いが過酷な現場を支えている。「プロジェクトX」は過去の話ではないのだ。こうした職業倫理を支える方向で政策が打たれなければならないし、社会人になってから10年余、私たちの世代一人ひとりが高い職業倫理を持ってそれぞれの仕事に当たらなければならないと思う。
・・・では、公務員の倫理こそどうなのだ、という問いについては・・・また次回以降。



備忘メモ:公務員の倫理、医師の倫理、ノブレス・オブリージュ