流れに棹さす

 タイムトラベル物の映画や小説によくあるパターンに、過去にタイムスリップした主人公が歴史を変えようとするけれども、「歴史の修正力」のせいで、一時的に変わったように見えても結局元に戻ってしまう、というものがある。例えば、悲惨な飛行機事故が起こるのを知っている主人公が、それを防ごうとして飛行機会社に「爆弾を仕掛けた」と嘘の電話をしてその飛行機が飛ばないようにしても、その代わりに大きな列車事故が起きてしまう、といったものだ。

 「歴史の修正力」が本当かどうかはともかく、世の中には、個人の力ではどうすることもできない大きな流れがあるのではないかと思う。例えば、スティーブ・ジョブズがいなかったら、iphoneは生まれていなかったかもしれないが、その代わりに別の名前の似たような商品が発売されていたかもしれない。例えば、今の安倍総理がいなかったら、集団的自衛権の議論がここまで進むことはなかったかもしれないが、そのうちに同様の主張をする政治家が出てきたかもしれない。

 ジョブズ安倍総理といった人ですら、大きな流れの中にあってそれに逆らえないのであれば、私たちが社会に対して与えられる影響力はいかばかりであるだろう。毎日遅くまで仕事に追い立てられ、思うようにいかないと悩み、いろいろと苦労をして仕事を仕上げても、それがどれほどのものなのか。目の前の仕事に没頭して、それがうまくいったときは誇らしい気持ちになるけれど、少し冷静になってみれば、その仕事が本当に自分にしかできなかったのかと思うと甚だ自信がない。

 それでも、毎日の仕事に少しでも意味を見いだすならば、時計の針を少し進ませたり、遅らせたりすることはできるのかもしれない。大きな流れは変えられなくても、自分の仕事のおかげで何年かでも早く望ましい姿が実現できたり、あるいは望ましくない事態になるのを何年かでも遅らせることができるのなら、それで十分だと考えるべきなのだろう。それは諦観ではなくて、大それたことをしないという中庸の精神であり、また、自分ができなくてもいつかは誰かがやってくれるという一種の安心でもあるのだ。

制約を知る

 相手のある仕事をしていると、相手が思うように動いてくれずにイライラすることがある。利害がガチンコでぶつかる場合はともかく、基本的には同じ方向を向いているはずなのに、意見が対立して、お互いに相手が悪いと非難しあうようなことになるのはなぜだろうか。

 調整をするときに、相手の立場になって考えてみるというのは常套手段であるが、「立場」といってもいろいろあって、これがものの見方や関心ということになると、どうもうまく理解できないことが多いような気がする。それは、そもそも意見が対立する前提として、相手との信頼関係が築けていなかったり、純粋に相手のことをよく知らなかったり、ということがあるからではないか。相手のことが分からないから、相手の関心も分からない。ついには、「アイツは性根が曲がっている」などと相手の心持ちを非難したりする。

 そうではなくて、相手を知るということは、相手の制約を知るということだと思う。会社に入って一年目は、係長はなんて自由に仕事をしているんだろう、と思っていたけれども、実際に係長になってみると、自分の裁量なんてほとんどない。では課長になってみたらどうかというと、これも実は自分で決められる範囲は相当限られている。これは会社の中の話であるけれども、どんな人でも何らかの制約があり、誰だって自由に意志決定をしているわけではないのだ。

 相手にも制約がある、と考えることのメリットは、相手が自分の思うとおりに動いてくれなくても、(少しは)腹を立てなくて済むことだ。相手の行動は自分には納得がいかないけれども、もしかしたら、相手には自分の知らない制約があるのかもしれない。あるいは、相手もそうせざるを得なかっただけで、本意ではなかったかもしれない。特に、相手が団体の長など責任ある立場の人である場合には、下部組織や支持者の声のせいで、必ずしもその人の思い通りの行動が取れないことが実は結構多いような気がする。そうであるならば、目の前の行動だけで相手のことを毛嫌いするのはお互いに大きなロスだ。なぜなら、本当は相手と同じ方向を向いているのに、自ら壁を作ってしまうことになるのだから。

 そう考えると、やはりベースになるのは相手との信頼関係だ。確か外交についての格言で、たとえ片方の手で殴り合っていても、もう片方の手は握手をしていなければならない、という言葉があったように思うが、個人との関係もこれに似たところがあると思う。立場が違えば、ときには、相手と対立することもあるかもしれないが、そんなときでも、相手の行動の裏に隠された真意を信じることができるような関係を築きたいと思う。

3.11の思い出

 あの地震が起きたとき、私は参議院本館の3階にある控え室にいた。ちょうど、参議院の決算特別委員会が開かれており、政務官の秘書官をしていた私は、随行者用の控え室で国会中継を見ながら待機していた。
 揺れがおさまって、控え室から委員会室に入ろうとすると、血相を変えて部屋から飛び出してくる枝野官房長官(当時)とすれ違った。「宮城県震度7!」と叫んでいた。これは大変なことになったと思った。
 すぐに委員会室に入ると、天井のシャンデリアがまだ大きく揺れており、「シャンデリアの下から離れてください」という委員長の声が聞こえた。私は、まずは政務官の身の安全を確保するため、とりあえず議員会館に向かった。
 地震のためエレベーターが止まっていたので、階段を上って議員会館の事務所にたどり着き、テレビから次々に飛び込んでくる衝撃映像に目を奪われていると、やがて厚労省から大臣室に集合するように連絡があった。そこで厚労省に向かい、またもや階段で10階まで上って大臣室に入ると、大臣室では既に人が頻繁に出入りして、断続的に打ち合わせが始まっており慌ただしい雰囲気だった。

 当時の政務三役は、細川律夫大臣、小宮山洋子副大臣大塚耕平副大臣岡本充功政務官小林正夫政務官の5人。振り返ってみると、震災時にこのメンバーで本当によかったと思う。細川大臣は弁護士出身で、多少のことでは動じない。小宮山副大臣NHK出身でマスコミに強い。大塚副大臣は日銀出身で事務能力が高い。岡本政務官は医師。小林政務官は労働分野に強く、何より東京電力の労組出身だった。
 細川大臣は、震災対応が本格化するとすぐに、本当に重要な案件以外は、基本的な処理を大塚副大臣に委ねた。これは非常に賢明な判断で、なかなかできることではないと思う。こういう危機のときこそ自分の出番、と考えがちだが、実際にあのレベルの危機になると、重要な判断を要する案件が次々と上がってきて、とても一人では処理しきれない。それをすぐに察して大胆に権限委譲をしたのは、さすがに修羅場をくぐってきている人だなと思った。

 その「本当に重要な案件」の一つが、原発作業員の被ばく線量についての判断だった。当時、原発作業員の被ばく線量については、緊急時は100mSvを限度とすることが省令で定められていたが、福島第一原発での作業を行うため、これを引き上げてほしいという要請があり、省令を改正すべきかどうかを判断する必要があった。
 放射線審議会からは、既に、健康への影響を考慮しても250mSvまでの引き上げが妥当であるとの答申が出ており、また、原発事故の早期収束を考えれば、被ばく線量の引き上げもやむを得ないように思われた。だが、これは極めて重大な判断だった。なぜなら、そういったまさに緊急事態においても、労働者の健康と安全を守るための基準が100mSvだったわけであり、原発事故がいかに深刻だからといって、あるいは250mSv以下であれば直ちに健康への影響はないという専門家の意見があるからといって、これをすぐに引き上げるのでは、そもそもこの省令の意義は何なのか、ひいては、労働者保護とは何なのか、という労働行政の根幹に関わる問題だからである。
 この案件が大臣に上がったときの光景を、私は今でも覚えている。事務方から、どうしますか、と問われた大臣は、これまで見たことのないような苦渋の表情を浮かべ、うーん、と腕組みをして唸ったまま動かなくなった。誰も声を発する者はいなかった。この判断ができるのは大臣しかいない、と皆が分かっていたからだ。大臣がウンと言えば、事故収束のために働く労働者を危険にさらすことになる。いくら原発事故の収束が大事だからと言って、自分の判断一つで労働者を危険にさらすことが許されるのか。その決定ができるのはまさに大臣をおいて他にない。私は、大臣の双肩にかかる責任の重さに身震いがする思いで、大臣の姿を直視することさえためらわれ、うつむいて大臣の決断を待つしかなかった。

 今から考えると、もちろん東北で被災された方々とは比べるべくもないが、私自身も、職務を通じて、震災によって心理的なダメージを相当受けていたと思う。被災地で見た圧倒的な風景。避難所で生活する方々のお話。福島県庁に置かれた原子力対策本部の殺気立った雰囲気。防護服を着て福島第一原発にも行った。土日出勤が続き、被害状況が明らかになるにつれ、途方もない被害の大きさに暗澹とした気持ちになった。

 そんななかで、ホッとした印象として残っていることが2つある。
 1つは、休日出勤をしたある日のこと。私の家は、最寄りの駅から徒歩20分ほどのところにあり、普段は自転車かバスで通勤していたが、その日は、連日の休日出勤で気力が萎えていたこともあり、タクシーを呼んで駅まで行くことにした。タクシーに乗り込んで行き先を告げ、車が動き出してしばらくすると、不意に運転手さんから声をかけられた。「お役所のかたですか?休日出勤ご苦労さまです。こんな状況で毎日大変だと思いますが、頑張ってくださいね」と。私は当時公務員住宅に住んでおり、そこにタクシーを呼んだため、私が公務員だと推測したのだろう。何気ない一言だったが、心が荒みかけているところに意外なところから暖かい言葉をかけてもらい、思いがけず感動したことを覚えている。
 もう一つは、私がお仕えしていた政務官から掛けていただいた一言。震災から1か月が経ち、厚労省から議員会館まで公用車で移動している際、きれいに咲いている桜を見て、政務官は「○○さん、どんなにつらくても、春は必ず来るんだよ。がんばろう」とおっしゃった。私よりずっと責任とプレッシャーを感じているはずの政務官からの言葉は胸に沁みた。私が落ち込んでいるのを見て、そんな声を掛けてくれたのかもしれないと、今になってみればそう思う。

書評 〜「ひとの発達と地域生活慣行−循環・持続する発達環境を−」(山岸治男(2012)、近代文藝社)〜

 地域での祭りや行事などの地域社会の生活慣行(地域生活慣行)が、ひとの発達にどんな影響を及ぼすのか−−本書は、ひとの発達における地域生活慣行の重要性や、そうした慣行が廃れつつある中で、子どもたちの健やかな育ちを確保するために、何が必要なのかについて論じている。

 著者の山岸先生は、大分大学で教育社会学を教えてこられたほか、交通指導員、町内会長、PTA会長、放課後クラブ運営委員、スクールカウンセラーなどの地域活動に長年にわたり携わってこられた。大分県が主催する「子ども・子育て応援県民会議」(子ども・子育て会議)の会長をお願いしている関係で、個人的にも若干のお付き合いがある。
 話が脇道にそれるが、この山岸先生は、とても温和で品格のある方で、初対面で少し話しているだけでも、こちらの背筋が自然と伸びてくるような雰囲気がある。遅ればせながら今回先生の著書を拝読して、この先生にこの思想あり、と、改めて敬服した。

 著者の主張の要諦は、おおむね「はじめに」に書かれている。すなわち、この文明社会において、ルールやマナーを守れない「野生児・者」が現れるのはなぜなのか。それは、まっとうな発達過程を辿らないで過ごせる社会を作ってしまったからである。ではどうすればよいか。その鍵は、現代社会が捨て去ってしまった「地域生活慣行」にある、という。

 現在、子育ての分野で大きな課題となっているのが、地域や家庭での「子育て力」の低下である。従来から、人々は子育てに大変苦労してきたが、地域の人たちの手助けや見守りによって、何とか子育てをまっとうしてきた。ところが、近年そうした地域の力が低下したことにより、子育てが「孤育て」、すなわち孤立化・密室化した。その結果、信じられないような児童虐待が起きたり、それまで家庭や地域で解決できていた問題が保育所や小学校に持ち込まれたりするようになっている。今般、子ども・子育て支援法が制定されるなど、子育てに対する支援が制度的に充実することになったが、その根底に流れる問題意識は、地域や家庭の「子育て力」の低下を、社会全体としてどう支えていくか、という点にある。

 ではなぜ地域や家庭の「子育て力」が低下しているのか。その背景の一つが、本書が指摘する、祭りや地域行事などの「地域生活慣行」の喪失であると考えられる。著者によれば、地域生活慣行には、半強制的な「通過儀礼」の意味が伴っており、各年齢ごとにそうした経験を累積することで、心身の発達を図り、成熟した成人にさせるための「教育装置」としての役割があるという。たとえば、秋田県の「なまはげ」には、子どもに対して年長者への畏敬の念を持たせる機能や、大人に対して「悪ガキ」を許す度量を自覚させる機能、また長老に対しては自己修養の戒めを与える機能があるという。

 その上で、著者は、こうした地域生活慣行が衰退した背景として、「新自由主義」の影響を挙げる。新自由主義は、個人を社会のいろいろなしきたりやしがらみから解放する一方で、人間をばらばらな消費者という個人に分解してしまった。そのことが、人間関係を「好き」「楽しく面白い」「自分にとって有利」といったキーワードでしか作れない人を大量に生み出している、と指摘する。このあたり、新自由主義が民主主義に与える影響を論じた「<私>時代のデモクラシー」(宇野重規著、岩波新書)の主張と重なるところがある。
 また、著者は、新自由主義は、個人間の「ネットワーク」を作ることはあっても、諸個人を束ねる「集団」を形成する思想とはなりにくい、と主張する。「ネットワーク」が「僅かな有限責任しか負わないで済ませられる」のに対し、集団とは、用水・農道や漁場などの管理・運営、消防組織や祭りの運営などの「きょうどう」を通じて結びつく「いわば無限責任が伴うとも言える」ものだという。「ネットワーク」全盛の時代にあって面白い指摘だと思う。

 ここまででも十分興味深い内容だが、この本の神髄はその先にある。少し長いが本文から引用する。
「こう記すと、「またお説教か」「社会が悪いのだから仕方ない」などとお叱りを受けそうです。そこで、わたしもこちらの「言いぶん」を少し記します。「では、あなたは、そうした実際のトラブルに、解決を目指して正面から責任ある立場で向き合ってきましたか?」と。
自分で言うのはどうかと思いますが、わたしは、町内会長、小・中学校PTA会長、交通指導員、中学校放課後学習支援ボランティア、放課後児童育成クラブ運営委員、校区公民館建設委員、地方法務局人権擁護委員などとして、町内会や小学校区という比較的狭い範囲の地域社会に相当程度責任を持つ立場でこの三十年ほど関わっています。わたしの「言いぶん」はこれらの活動を通して経験し、解決に向けて取り組んできた多くの事例を経た「言いぶん」です。
 この本が素晴らしいのは、理念だけでなく、著者の長年にわたる地道な地域活動からの経験、教訓が、議論の背骨としてしっかりと貫かれているところである。そして、上で引用した「では、あなたは、そうした実際のトラブルに、解決を目指して正面から責任ある立場で向き合ってきましたか?」という問いかけが、我々の胸に突き刺さる。我々も皆、地域社会の一員であるが、実際に、地域での活動を実践できているかといえば、はなはだ自信がないという人が多いのではないだろうか。本書が他の本と一線を画すのは、温和で品格のある著者の裏側にある烈しさを感じさせるまさにこの視点である。

時代の半歩先へ

 行政として、法律や制度を改正して社会を変えたいと思うとき、時代の半歩先を目指すことが必要だと思う。ゼロ歩では意味がないし、一歩先では進みすぎて実現が難しいからだ。

 私がかつて担当した育児・介護休業法の改正。3歳までの子を持つ労働者に対して短時間勤務制度を設けることの義務化や、子の看護休暇制度の拡大、介護休暇制度の創設など、改正内容は多岐にわたるが、労使間での調整が一番難航したのが男性の育休促進(妻が専業主婦でも一歳まで育休が取れる等)だった。

 育児に伴って女性が利用できる休業・休暇制度は、実は、多くの大企業で既に法律を上回る社内制度が実施されていた。短時間勤務制度はもちろん、3歳まで育休が取れる、という制度を設けている企業も少なくない。ところが、男性が育休を取るという習慣は、大企業も含めてまだほとんど普及していない。だから、女性の権利を拡大するよりも、男性の権利を拡大する方が、企業にとって影響が大きい。実際、子育て中の男性が、みんな育休を長期間取り出したら、経営への影響は大変なものになるだろう。

 法案の内容を審議する審議会で、経営側は男性の権利拡充に最後まで強く反対した。「現行の制度でさえ男性の利用は少ないのだから、その権利を拡充する前に、現行の制度の利用を勧めるべきではないか」という経営側の主張にも、確かに一定の理があり、一時は、強行突破して全体が壊れるよりは、男性の権利拡充については先送りもありうるか、という雰囲気になりかけた。私自身、当時の課長に「男性については降りないでほしい」と訴えたものの、課長が全体の判断として男性の権利拡充をあきらめたとしても、最後は仕方ないかと思っていた。

 そこを土俵際で踏ん張ることができたのは、世論の後押しがあったからだ。当時、「イクメン」という言葉はまだ全く普及していなかったが、審議会での議論が進むにつれ、新聞をはじめとするマスコミは「男性の育児参加こそが大切だ」とこぞって報道した。審議会の場でも、大学教授などの公益委員が、男性の権利拡充の必要性を強く訴えた。
 こうなってくると、経営側も反対を貫くことが難しくなってくる。「男性の育児参加が進まないのは、経営側が反対しているせいだ」と批判の的になる可能性があるからだ。こうして、最後は経営側も男性の権利拡充について賛成に転じた。経営側にとっても、ぎりぎりの判断だったと思う。

 その後の「イクメン」ブームの盛り上がりを見れば、男性の権利を拡充して本当に良かったと思うし、後から振りかえればやって当然だと思えるかもしれないが、改正の議論の渦中では、実にぎりぎりの攻防だったのだ。もし10年前にこの改正内容が提案されていたら、経営側の反論が通って改正ができなかったかもしれない。それを、経営者は頭が固いとか、既得権益とか言うことは簡単だが、私は、それが法律を改正し、権利・義務を創設することの重さであると思う。市場であれば、商品やサービスを買うかどうかは、消費者が選ぶことができる。ところが、法律で規定されれば、それは本人の意志にかかわらず強制・一律に適用される。だからこそ、規制によって社会を変えていくとすれば、それは半歩ずつ、慎重に進んでいかざるを得ないのだろうと思う。それが、時代の1歩先、場合によっては3歩先を目指すビジネスやNPO活動との違いだ。

 法律はいつも現実の後追いだ、という批判があるが、県庁に赴任して、そのことを改めて実感する。私が現在担当している子育て支援の分野では、長年にわたるすったもんだの議論の末、ようやく法律が改正され、幼稚園と保育園との一体化が進められることになったが、現場に来てみれば、何のことはない、ほぼすべての幼稚園で預かり保育をしているし、保育所でも特色ある教育が行われていて、実態としては両者はかなり近づいている。また、改正法が目指している認定こども園と地域との連携も、既に法が想定している以上に実現できている園もある。逆にいえば、実態がそうなっているからこそ、ようやく法律が改正された(できた)とも言えるだろう。
 法律や制度に先駆けて、進んだ取り組みをしているところは、それらが改正されるずっと前から、地べたを這うような努力を積み重ねて、自分の力で道を切り開いてきた。そういったところを、行政として応援したいという気持ちは自然ではあるけれども、実は、行政として応援しなくても、既に十分やっているし、これからも十分にやっていけるという場合が少なくない。行政の人間が、ぱっと見てあれこれと支援のメニューを考えても、現場ではさんざん試行錯誤した上で、行政が考えるようなことはすべて実行済みなのではないか。だから、進んでいる実態を見て、それを行政として支援したいというのは、行政らしい傲慢さというか、おこがましさの表れではないかという気もする。
 もちろん、進んでいる取り組みをしているところにも、行政として支援できることがあれば構わないのだけれど、せめて、そういう進んでいるところの邪魔をしないこと、そして、そのような先進的な取り組みを学んで、他の団体や地域に広げていくところに、行政としては注力すべきではないかと感じ始めている。

自助と自立

 少し前になるが、京極高宣先生の講演を聞く機会があった。京極先生は、厚労省の審議会の座長や、国立社会保障・人口問題研究所の所長などを歴任された、福祉分野の大家である。

 先生の講演の中で特に印象に残ったのが、「自助」と「自立」の違い、ということだった。この文章を書くために、先生の主張をネットで調べてみたが、それとあわせた私なりの理解によれば、「自助」とはSelf-help、すなわち自らを自らが助けることであり、「自助努力」という言葉があるように、自分で努力する、という意味である。「自助・共助・公助」という言葉があるが、これは支え手(担い手)が誰であるかを区別している。つまり、「自助」とは(誰が支えるかという)「手段」を表す概念である。
 これに対して、「自立」とはIndependenceであり、他者に依存せずに自己決定ができる独立した状態をいう。つまり、「自立」とは「目的(目標)」を表す概念である。
 したがって、「自立」とは必ずしも「自助」のみで達成する必要はなく、「自助」、「共助」、「公助」を適切に組み合わせて「自立」を実現する、ということは当然ありうる。例えば、障がい者が就労により一定の工賃を得て、足らない分を障害年金生活保護で補うことによりきちんとした生活が営まれていれば、自立という目標に達することは可能である。
 この場合、「自立」しているかどうかのメルクマール(判断基準)は、自己決定ができるかどうか、ということであるという。例えば何らかの支援を受けるとしても、その支援を受けるという決定が、誰かに強制されたものでなく、自己の選択によるものであることが必要であるという。

 先生の話を聞いていて私が思ったのは、障害者自立支援法に対する批判についてだった。同法に対する理念的な批判の一つは、「自立」という概念に対するものだったと理解している。すなわち、例えば重度心身障害者のように、何らかの介助がなければ生きていくことができないような人に対してまで「自立」を求めるのか、それは、「自立」の押しつけであり、強制ではないか、という批判である。
 この点については、上の整理によれば、「自立」とは目標であり、「自立」を実現するための手段としては、「自助」のみならず、「共助」や「公助」も当然含まれるから、常に介助が必要な人についても(自己決定が可能であるという意味での)「自立」を目指すことは可能であり、むしろ目標としては「自立」を掲げるべきである、ということになるのだろう。
 もっとも、障害者自立支援法は、昨年6月に改正されて「障害者総合支援法」となり、第一条の目的規定にある「障害者及び障害児が自立した日常生活又は社会生活を営むことができるよう」という表現は、「障害者及び障害児が基本的人権を享有する個人としての尊厳にふさわしい日常生活又は社会生活を営むことができるよう」という表現に改められた。「自立」という言葉が法律名や目的規定から削除されたのである(ただし、他の条文では「自立」という表現は残っている)。これはおそらく、「自立」という言葉に対する批判に対応してのことだろうと思う。

 このように、「自立」と「自助」に着目すると、ほかにも気になる表現がいくつかある。例えば、介護保険制度の要介護度の認定において、介護保険の給付の対象とならないことを「非該当」というが、多くの自治体で、「非該当(自立)」という表現が使われている。これは、介護保険を使う必要がない=自立という考え方だと思われるが、逆に言うと、要介護認定を受けた人は自立していないのか、という議論を招くおそれがあるようにも感じる。私が厚生労働省のHPを見る限り、「非該当(自立)」という表現は見当たらないが、多くの自治体で同じ表現が使われているところをみると、かつて、厚生労働省がそのような表現を用いていたのかもしれない。

 また、先日発表された社会保障国民会議の報告書をみると、

「日本の社会保障制度は、自助・共助・公助の最適な組合せに留意して形成すべきとされている。これは、国民の生活は、自らが働いて自らの生活を支え、自らの健康は自ら維持するという「自助」を基本としながら、高齢や疾病・介護を始めとする生活上のリスクに対しては、社会連帯の精神に基づき、共同してリスクに備える仕組みである「共助」が自助を支え、自助や共助では対応できない困窮などの状況については、受給要件を定めた上で必要な生活保障を行う公的扶助や社会福祉などの「公助」が補完する仕組みとするものである。

という表現となっているが、これをもとに閣議決定された、いわゆる「社会保障改革プログラム法案の骨子」をみると、

「自らの生活を自ら又は家族相互の助け合いによって支える自助・自立を基本とし、これを相互扶助と連帯の精神に基づき助け合う共助によって補完し、その上で自助や共助では対応できない困窮等の状況にある者に対しては公助によって生活を保障するという考え方を基本に(後略)」

となっている。
 似ているようだがよく見てみると、国民会議報告書が「自助」のみで「自立」という表現は使っていないのに対し、法案骨子では「自助・自立を基本とし」と、「自助」と「自立」の二つが併記されている。後者においては、「自助」と「自立」の使い分けについてあまり意識していないようにも見えるが、こうした表現は、先の京極先生の整理に従えば、手段と目標とが混在しているということになるのではないだろうか。些細な違いのようだが、ここは改革の理念の一つのポイントとなる重要な部分である。実際、新聞でも「自助・自立を基本」といった見出しが使われている。もっともこれは法案「骨子」なので、実際の法案の段階では、そのあたりの整理がきちんとなされるのかもしれない。法案は秋に提出されるようなので、法案の条文に注目である。

 このほか、私が現在担当している児童福祉の分野でも、「自立」は重要なキーワードだ。社会的養護に関する研究報告やエッセイを集めて年一回発行される「子どもと福祉」(明石書店)という雑誌があるが、その今年号の特集が「社会的養護の子どもの自立支援とアフターケア」。その中に、子どもの自立支援の施設を運営している星さんという方が、以下のように書いている。

「自立する」とは支えを必要としない状態になることなのでしょうか?(中略)独りぼっちでは誰も生きていけない。これは昔から言われていることですが、自立に必要なことは、何かできるようになること以前に、適切に他者に依存できる能力なのです。」(星俊彦「自立援助ホームで「自立」について考える」)

 確かに、自分の生活を振り返ってみても、誰にも頼らず一人で生きているわけではもちろんなく、親をはじめとして知人、友人や近所の人たちからの支えがあることで安心して暮らしていくことができている。その意味では、「自立」とは「自助」だけで生きていくということを意味しないことは当然であるが、ここでのポイントは、星さんの言葉を借りれば「適切に」他者に依存する、というところだと思う。というのは、児童養護施設で育った子どもたちは、一般に、虐待を受けたことなどによって自尊感情や自己肯定感が低いといった個人的な要因や、周囲の人に世話をしてもらうのが当たり前という環境で育ったという環境的な要因のために、周囲をまったく頼ることができずに孤立してしまったり、あるいは逆に依存しすぎてしまったりすることが多いからである。大分県では、全国に先駆けて、児童養護施設等を退所した子どもたちの自立支援を専門に行う「児童アフターケアセンターおおいた」を平成23年度から設置しているが、その職員に話を聞くと、親身になって支援を行いつつも、いかにして子どもを依存させずに自主性を引き出していくかが難しいという。例えば、仕事を見つけるにしても、全部センターで手配してしまうと本人のやらされ感が強くなってかえって長続きしないとか、保証人の問題が出たときは、一度は本人に苦労して探させて、いよいよ見つからないときに支援するとか、いろいろと工夫をしながら取り組んでいるようだ。

 以上いくつか見てきたが、福祉の分野における「自立」という考え方は、実は平成12年の社会福祉基礎構造改革の中心的な理念の一つである。同改革では、福祉分野における従来の「保護」中心の考え方から、「自立支援」へと大きな理念の変更が謳われた。こうした理念の変更を踏まえて実施されたのが障害者自立支援法介護保険法であり、障害者福祉や高齢者福祉の分野では、この間、障がい者や高齢者が地域でいかに暮らしていくことができるかという点にさまざまな取り組みがなされてきた。その意味では、今になってようやく「自立支援」が注目されつつある児童福祉(社会的養護)の分野は、取り組みが遅れているという感が否めない。社会的養護の分野において、自立支援をいかに進めていくかが今後の大きな課題の一つである。

児童福祉の現場から⑧ 〜児童虐待の防止〜

 全国で悲惨な児童虐待事案が後を絶たない。児童虐待を防ぐため、行政でもさまざまな取り組みをしているが、児童虐待の多くは密室化した家庭で起こることもあって、これを完全に防ぐことはなかなか難しい。
 虐待防止の難しさにはいろいろな側面があるが、今回は、「親子の分離」ということについて書いてみたい。

 児童虐待の防止と聞いて、多くの人が思い浮かべるのが、虐待をする親から子どもを引き離すということではないだろうか。確かに、児童相談所でも、虐待のおそれ(あるいは事実)があると判断した場合には、もちろん同意を取る努力はするものの、最終的には強制的に親子を引き離して(=「親子分離」)、子どもを保護している。だが、難しいのはその後だ。

 親子分離した子どもたちを、誰が、どうやって育てるのか。例えばその子どもが1歳であれば、成人するまで、当たり前だが20年は必要だ。その間、児童相談所でずっと保護し続けるわけにはいかない。だから、そうした子どもたちは、児童養護施設に預けられるか、里親に預けられるか、あるいは家庭に戻ることになる。

 このように書くと、次に、児童養護施設が一杯で、子どもたちが入ることができない、という話が来ると思うかもしれない。しかし、実際には、少なくとも大分県では、児童養護施設の受入れにはまだ余裕がある。むしろ、里親の増加に伴って、児童養護施設の定員を減らしている状況にある。

 では、何が問題なのか。それは、親子分離をするということそのものが、子どもにとっては非常に傷つく体験であるということだ。先日、児童虐待問題で有名な花園大学の津崎教授の講義を聞く機会があったが、教授によれば、
 ・ 乳幼児の親子分離は、動物の世界では死を意味する。
 ・ 施設入所や里親委託される子は、事情はどうあれ、死に値する深い傷つき体験を持っている。
 ということだった。そして、親子分離をすることが、そのときの周囲の大人からすると子どもに良かれとの判断であったとしても、子どもの認識は真逆であり、「自分が嫌われたから、自分が悪い子だったから捨てられた」という見捨てられ感情にとらわれる、という。親から引き離されれば死んでしまうからこそ、子どもには、親への愛着が本能的に備わっているが、虐待の場合には、それが必ずしも良い方向に働かない、ということだと思う。

 児童養護施設で育った子どもたちの「自分史」をまとめた、「施設で育った子どもたちの語り」(「施設で育った子どもたちの語り」編集委員会編 明石書店)という本の中に、次のような一節がある。  

 「小学4年生のときに今まで行方不明だった父親から手紙が来ました。自分には親がいないと思っていたのでうれしくなり、「僕も友達と同じような生活ができるようになるかも」と、淡い期待を抱きました。その父親から5年生のときに引き取りの話があり、二つ返事で帰ることにしました。しかし、約束の日に父親は来ませんでした。裏切られた悲しさと、ほんの少しでも期待してしまった自分に対する悔しさが交錯しました。」

 この子どもは、生まれてすぐに施設に預けられ、両親の記憶が全くない。それでも、親から手紙が来たと喜び、親元に引き取られることについても「二つ返事で」了解し、期待に胸をふくらませているのだ。子どもにとって、親がいかに大切な存在であるかが分かる。

 前回のブログで、国連のガイドラインに少し触れたが、そのガイドラインでも、以下のように示されている。

 「14. 児童を家族の養護から離脱させることは最終手段とみなされるべきであり、可能であれば一時的な措置であるべきであり、できる限り短期間であるべきである。離脱の決定は定期的に見直されるべきであり、離脱の根本原因が解決され又は解消した場合、下記第49項で予定される評価に沿って、児童を親の養護下に戻すことが児童の最善の利益にかなうと判断すべきである。」――「児童の代替的養護に関する指針」(厚労省雇児局家庭福祉課仮訳)

 つまり、親子分離は例外的な最終手段とすべきであり、できる限り分離の期間を短くし、親元に戻せる状態になったら速やかに戻すべきである、ということである。
 このほか、同ガイドラインには、「貧困を理由に親子分離を行ったり親元への復帰を妨げたりしてはならない」、「親がその弱さゆえに子どもを捨てることがないように、特に未成年の親への支援を行わなければならない」といった記述もあり、さまざまな支援によって、子どもが親の元で育つことができるようにすることが、子どもにとって望ましいということが明確に示されている。
逆に言えば、きちんと支援することなしに、貧困や親の未熟性といった理由で安易に親子分離をしてはいけないということである。

 とはいえ、虐待をした親を支援し、養育力を身につけてもらうことは、時として子どもに対する支援よりも難しい。また、児童の安全確保に対する要請が強くなっている中で、いったん分離した子どもを親元へ帰しても良いかどうかというのは、非常に難しい判断となる。昨年11月には、家庭復帰した子どもが虐待死するという事件が相次ぎ、厚労省から、家庭復帰に当たっての留意事項が通知されている。

 子どもの安全を確保しつつ、いかにして子どもを親元に帰していくことができるか。そのためにどんな支援が必要なのか。児童虐待の防止に関する今後の大きな課題の一つであると思う。